■ 二十一世紀という新たな乱世を生きるへ人々へ
平安時代末期、一人の若者がいた。名前を藤原定家。彼は才能あふれる歌人だった。その頃の日本は平家と源氏が争い、世は乱れに乱れていた。そんな乱世を見ながら、彼は日記『明月記』にこう記した。「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」。
紅旗とは朝廷の勢威を示す赤い旗のこと。征戎とは戎をたいらげること。つまり紅旗征戎とは、朝廷の名による平家征伐のことを意味する。そんな天下の一大事にもかかわらず、定家は「吾ガ事ニ非ズ(俺の知ったことか)」とまるで切って捨てるように、書き記したのだ。当時、定家は19歳だったという。
太平洋戦争の時代、一人の若者が『明月記』を手にした。20代前半だった若者は、戦争の時代の中、自分がいつまで生きていられるか不安を抱えていた。だが時代は、そんな不安を口にすることすら許さなかった。
若者は漢文で書かれた「明月記」を苦労しながら読み進めた。そして「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」の一文を読んだとき、強い衝撃 ―― それも一生涯続くような衝撃 ―― を受けた。若者は驚きの中で考えた。「平安時代には『朝廷の戦争など知ったことか』といえる自由があった。しかし、今、自分たちにその自由はない。歴史は本当に進化しているのだろうか」と。
若者の名前は堀田善衞。無事戦後を迎え作家になった彼は、時代のうねりと個人はどのように向かい合うことができるのか、人間はそこにおいてどのような倫理を持ちうるのか、ずっと自らに問い続けた。日本やヨーロッパの中世を舞台にした小説を書きつつそれを考え、またある時には、世界中の作家と実際に交流を重ねながらそれを考えた。その言葉と行動は、よるべなき時代を生きる若者たちの支えとなった。
一つの言葉の衝撃が、小説となり、思想となって人から人へと伝わっていく。二十一世紀という新たな乱世を生きるすべての人々に、現代を生きるための哲学として、改めて堀田善衞の言葉を贈りたい。