堀田氏の書籍とDVDが無事発売されましたので、先日、著作権継承者である長女の百合子さんにご挨拶に行ってきました。その時に、堀田氏の自宅と書斎を見せていただきました。
堀田氏の自宅は、逗子市の小高い山の中腹にあります。自動車では入りづらい場所で、近くに車を置いて少し斜面を下るようにしてお宅までうかがいました。まず、居間に置かれた仏壇にご挨拶をしましたが、ありがたいことにそこには今回の書籍とDVDが供えてありました。ちなみにこの居間は、書籍『時代と人間』に収録しました、百合子氏のエッセー「諸君、もう寝ましょうか」で描かれている、堀田氏が終日TVでニュースを見ていたという、その居間だそうです。
'57年に、火事で燃えてしまったお宅も同じ場所に立っていたそうですが、こんな高台にある家が燃えたのであれば、さぞかし壮観(?)だったのではないかとも思いました。当時、作家・石原慎太郎氏が近所に住んでいたそうですが、後日だいぶ時間がたってから、「すごくきれいだったよ」とおっしゃったそうです。逗子の海を臨む庭にあるある大きな樹の枝を、リスが走っていったのが印象的でした。
堀田氏が生前使われていた書斎も見せていただきました。こちらの書斎からも海が見えるのですが、堀田氏の執筆はほとんど夜だったそうで、生前は書斎の雨戸は終日閉めっぱなしだったとか。
特別注文という机は、椅子の周囲を取り囲むような形になっており、書見台にさまざまな資料を展開しつつ執筆できるようになっていました。これは確かに使いやすそうです。書き損じの原稿用紙も、そのまま机の傍らに詰まれていました。机の脇にある取っ手のついたお盆は、執筆時の必需品で、そこに急須と茶葉、それにペンダコを守るための絆創膏を載せて仕事部屋に向かうのが習慣だったそうです。
また書斎には一種のロフトのような2階部分があり、その上には、堀田氏の著作が並べられていました。そのほかの資料などは、2002年に神奈川近代文学館に寄贈したそうです。
印象的だったのは、書斎の机の傍らに、モンテーニュが「随想録(エセー)」を執筆したシャトーの写真が飾られていたことです。それを見た瞬間、この書斎は堀田氏にとっての“シャトー”だったのではないか、と思い至りました。
よく考えてみればモンテーニュは、海運業者の家に生まれており、堀田氏は廻船業者の子供でした。もしかすると、堀田氏はモンテーニュと自分をどこか重ねていたのではないでしょうか?
モンテーニュは自分でものを考えることを、「夢を見る」と言っていたそうですが、堀田氏もまたこの海を臨む“シャトー”で、さまざまな“夢を見ていた”のではないか、と思いました。
さて昨年から連載してきましたこの「時代と人間通信」、今回でおしまいとなります。
どうもありがとうございました。
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