先日、『時代と人間』の校了も終わり、ついに後は販売を待つだけとなりました。改めて書きますと、書籍は2月19日、3冊同時発売。DVDは2月20日発売になります。地方の方などは、オンライン書店などで注文されたほうが便利かもしれません。
オンライン書店といえば、イーエスブックスとYahoo!ブックスで、3月上旬ごろに、堀田善衞復刊をきっかけとした、スタジオジブリ特集が掲載される予定です。もちろん堀田善衞ページも作られますし、それ以外の内容も掲載されます。こちらも見ていただけるとありがたいです。
さて、では本題です。
この連載では、堀田氏の考え方 ―― たとえば「歴史は直線的に進むのではなく、多層的に存在している」というようなこと ―― を、既にあるもの、既に完成したものとして書き、それによって堀田氏を説明するというスタンスをとってきました。しかし、第8回のスペインの項でもわかる通り、堀田氏も最初から、そうした思想へと到達していたわけではありません。戦後、本格的に小説執筆を初め、そこにおいて、いかに自分の体験を消化(昇華)していくかという挑戦の果てに、自分なりの思想を掴み取ったのです。そしてその思想も年齢や時代を経るごとに、深化し、さまざまな側面を見せるようになります。
どうして今回、こんな話題から書き始めたかといいますと、現在、後学のために『堀田善衞 その文学と思想』(同時代社)という本を読んでいるからです。
この本が出版されたのは2001年。ここで複数の筆者たち ―― 主に『葦牙(あしかび)』という雑誌の同人の方たちが執筆されています ―― が、堀田氏の思想と文学の変遷を丁寧に分析しているのです。
私自身は、いくつかの代表作を読んだだけで、初期の長編などについてはまったく手付かずの状態です。しかし同書に収録された、『歴史の種子 初期短篇と「上海にて」における堀田善衞』(武藤功)、『無常感とアジア的虚無 「インドで考えたこと」とその前後』(牧梶郎)という2本の原稿を読むと、初期から中期にかけて、堀田氏が何に疑問を持ち、何を克服しようとして小説を書き続けていたかが、はっきりとした輪郭を持って理解することができました。その内容をここで紹介するのは、紙幅の問題もあって難しいのですが、先に書いたとおり、「堀田氏の思想は最初から完成されていたわけではなく、さまざまな思考の積み重ねの上に生まれたものである」ということを実感する内容でした。
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『堀田善衞 その文学と思想』(同時代社)
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もちろん、これらの文章はそれぞれ筆者の視点による評論ですので、同じ作品を読んでも別の分析・解釈をする人もいるでしょう。ですが、ひとまず私にとって、この本はそれまでの「堀田氏の思想の系譜」に関する漠然とした印象を明確にしてくれた1冊となりました(といっても、まだ読みかけなのですが……)
大型書店の文芸評論のコーナーにいきますと、さまざまな作家論が並んでいます。が、堀田善衞氏を単独で扱った本は見かけません。「戦後の現代文学において、堀田こそ大いに語り論じられなければならない作家であるという事実である」という同書の「はじめに」に書かれた言葉は、本当にその通りだと思いました。
「時代と人間」通信目次
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