「かぐや姫」と「ハイジ」
1974年にテレビ放送された「アルプスの少女ハイジ」は、高畑勲が演出し、宮崎駿が場面設定・画面構成を担当した作品である。 実は、この『ハイジ』と『かぐや姫』には多くの共通点がある。 共に自然に囲まれて山でのびのびと育った少女。しかし、周囲の大人の意思により山を離れて都会へ出てくることになる。 二人は都会で暮らしながら、山での生活、自然への思いを募らせていく。 「アルプスの少女ハイジ」は、原作の中で十分には描かれていない日常の生活と心情の描写を丁寧に積み上げていく演出で、 ハイジという少女の魅力、アルムの山々の美しさをくっきりと描き出し、日本だけでなく広く海外の人々をも魅了した。 一方、筋立ては誰もが知っているが、かぐや姫の気持ちや考えが書かれていないので、感情移入することが難しい「竹取物語」。 そこに描かれなかった姫の心情と、山での暮らしを丹念に描写することで、人間・かぐや姫の存在感と魅力が強く観客の中に残る本作。 「アルプスの少女ハイジ」制作後、「いつの日か、日本を舞台にハイジを作りたい」と語り合った 高畑勲、宮崎駿の40年越しの思いがついに実る。
プレスコと故・地井武男
日本のアニメーション作品の多くは、先にアニメーションを制作し 動きに合わせて声をあてるアフレコ(アフター・レコーディング)という方法をとる。 しかし、世界では声を先に録り、その声に基づいて画を描くプレスコ(プレスコアリング)が主流だ。 より実感がこもった演技を求める高畑監督は、自作の多くでプレスコを採用している。 今回も芝居の本職である役者たちの力を借りるためにプレスコを選択し、2011年夏に画に先行して声を録音した。 映画の完成前に亡くなられた地井武男さん(2012年6月没)が本作に翁役として出演できていたのもそのためである。 プレスコ当時、地井さんは台本を読んですぐに高畑監督に質問した。「高畑監督、これは地球を否定する映画なんですか?」 すかさず高畑監督は「まったく逆です、これは地球を肯定する映画なんです」と応じた。 その後、その答えに安心してか、70歳近い声優初心者は楽しそうにプレスコを続けたという。
かぐや姫を生んだ朝倉あきの声
「姫のイメージが湧かない」2011年春、スタッフは主役であるかぐや姫のイメージを共有するのに苦労していた。 そんな中、かぐや姫の声のオーディションは行われた。しかし、なかなか思うような声と出会うことができない。 かぐや姫に相応しい、“受身ではない意志のある声”が見つからなかったのだ。 諦めムードが漂う中、オーディションに現れたのが朝倉あき。 彼女の声を聞き、高畑監督とプロデューサーの西村は「彼女なら可能性がある」とうなずき合ったという。 オーディションでは落ちたと思い、泣きながら駅までの道を歩いた朝倉。声の悲しみ方が良かったと朝倉の起用を決めた高畑監督。 数百人の中から朝倉が選ばれたオーディションから映画の完成まで約2年。 スタッフは朝倉の声を毎日聴きながら、彼女の声を元にかぐや姫のイメージを膨らませながら作業を続けた。 どことなくかぐや姫が朝倉あきに似ているのは偶然ではないのかもしれない。
久石 譲と二階堂和美
音楽を担当したのはスタジオジブリの宮崎 駿監督作品では常連の久石譲。 今や世界的にも有名な、日本の映画音楽の第一人者だが、彼が一躍脚光を浴びるきっかけとなったのは、 高畑 勲がプロデューサーとして参加した「風の谷のナウシカ」だった。 実は以前から久石は、高畑作品への参加を熱望していた。今年夏公開の「風立ちぬ」の音楽も担当していた久石だったが、 「かぐや姫の物語」の制作の遅れで「風立ちぬ」との同日公開が実現できなかったことにより、「かぐや姫の物語」への参加が実現。 高畑監督の強い希望により、30年の時を経て、自らの才能を見出してくれたともいえる高畑監督と ついに“相思相愛”の初タッグを組むこととなったのだ。 ちなみに劇中歌「わらべ唄」「天女の歌」は 高畑監督と脚本家の坂口理子が作詞し、高畑監督自らが作曲した。 歌曲の説明のため、「初音ミク」でデモを作り、久石に聴かせていたそうだ。 主題歌を担当したのは、現役僧侶という異色の肩書を持つ広島在住のアーティスト・二階堂和美。 アルバム「にじみ」を聴き、二階堂の全てのCDを購入してしまうほど強く惹かれた高畑監督が主題歌制作を依頼し、 作詞・作曲・唄を担当することとなった。 二階堂は2度ほどの打ち合わせで高畑監督の求める曲を作りあげ、今年の3月、新しい生命をお腹に宿した状態で 「いのちの記憶」のレコーディングに臨んだ。 なお、本作を制作中、あの東日本大震災が起きた。 映画の制作は続行されたが、実は、高畑監督は3.11以降における作品制作で、 自分は演出家として責任を果たすことが出来るのかという疑問を感じていた。 しかし録音された「いのちの記憶」を聴き、その疑問は消えた。 高畑監督は、この曲のおかげで「かぐや姫の物語」が、3.11以降に相応しい、 人間と地球の連帯を表す映画になると確信したという。
誰もが夢見たアニメーション。もうひとつのスタジオジブリ。
従来のアニメーションでは背景とセル画は別々の様式で描かれる。 これはセルアニメーションと言う手法を採用する際に避けては通れないものだった。 しかし、高畑監督が挑戦したのは、背景とキャラクターが一体化し、まるで1枚の絵が動くかのようなアニメーション。 アニメーションの作り手たちが一度は夢見る表現である。 しかし、それは従来のジブリのスタジオを使っては実現できない表現だった。 プロデューサーの西村は高畑監督とともにスタジオジブリ本社を離れ、 第7スタジオという新たなスタジオを開設する。 アニメーション表現の限界を超えるために、もう一つのスタジオジブリが作られたのである。 天才アニメーター・田辺修を中心に、「線の先に本物を想起させる」という考えのもと、 スケッチのような描線で描かれた人物たちは、従来のアニメーション以上の生命力を勝ち得た。 人間・かぐや姫の誕生に成功した理由は、この手法によるところも大きい。 “ジブリの絵職人・男鹿和雄”が美術監督を引き受けるのは「もののけ姫」以来、実に16年ぶり。 男鹿が中心となって描かれた淡彩であたたかな背景美術は、田辺のキャラクターと完全に融合し一体感のある画面が達成された。 高畑監督が「この映画は虫と草の映画です」という、その草花と木々に、日本一の美術監督・男鹿和雄の真骨頂が伺える。 2人以外にも、彼らがいないとこの映画は完成しない、と高畑監督に言わせるほどの才能が結集し完成した映画「かぐや姫の物語」。 一見あっさりしているようで、実は髙い画力と膨大な手間の集積によって生み出された、本当の“リアル”を感じさせる表現は、 78歳の高畑 勲が生み出した全く新しいアニメーション表現として、アニメーション史のエポックメイキング的作品となるだろう。
この世は生きるに値する
この夏に公開され、日本映画では8本目となる興行収入100億円の大台を超えた宮崎 駿監督の「風立ちぬ」。 25年前の「火垂るの墓」「となりのトトロ」の二本立て興行以来の1年に2作品公開となるジブリイヤー。 秋に登場するのが高畑 勲監督「かぐや姫の物語」だ。 大空に憧れた少年を通し、どんなときも力を尽くして生きることの大切さを伝えようとした「風立ちぬ」。 一方、大地に憧れた少女を通し、辛いことや大変なことがあってもやってみなければならない、 みずからの“生”を力一杯生きることの大切さを伝えようとする「かぐや姫の物語」。 『この世は生きるに値する』。もしかしたら二人は同じことを伝えようとしているのかもしれない。