これらの謎が解ければ、原作を読むかぎりでは不可解としか思えないかぐや姫の心の変化が一挙に納得できるものとなる。そしてその糸口はつかめた! とそのとき私の心は躍ったのですが、半世紀を経て今回取り上げるまで、この“昔の契り”コンセプトは、長年埃をかぶったままでした。
私にはいまも、月での父王とかぐや姫のシーンがありありと見えています。父王は姫の罪と罰について重大なことを語り聞かせています。かぐや姫はうわの空で、父王の言葉も耳に入らず、目を輝かせながら、これから下ろされる地球に見入るばかりです......。
しかし、私はこのシーンを冒頭につけることはしませんでした。『竹取物語』には描かれていない「かぐや姫のほんとうの物語」を探り当てさえすれば、プロローグなどなくていい。物語の基本の筋書きはまったく変えないまま、笑いも涙もある面白い映画に仕立てられる。そしてかぐや姫を、感情移入さえ可能な人物として、人の心に残すことができるはずだ。私はそんな大それた野心を抱いて、『かぐや姫の物語』に取りかかりました。
このような物語に、いわゆる今日性があるのかどうか、じつのところ、 私にはまったくわかりません。しかし少なくとも、このアニメーション映画が見るに値するものとなることは断言できます。なぜなら、ここに結集してくれたスタッフの才能と力量、 その成し遂げた表現、それらは明らかに今日のひとつの到達点を示しているからです。それをこそ見て頂きたい。それが私の切なる願いです。
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