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プロデューサー河邑厚徳 「制作の裏側」 その2
「チベット死者の書」の撮影について
典型的な死者儀礼、伝統的な宗教儀礼は、いまや地球上でどんどんなくなっていると思います。「チベット死者の書」を撮影した当時はギリギリですがそれが完璧な形で残っていました。ラダックに入る前は「実際に人が亡くなった時、49日間にわたって法要するというのは本当なのかな?」という思いがありましたし、「もし、それが本当ならばそれは奇跡的なすごい事だな」と感じていました。幸い現地のコーディネーターを介して亡くなった方を探し、取材の許可をもらうことができたので、実際の儀式を映しだしたドキュメンタリーを作ることができました。
冬の撮影になったのは、極寒の地で死者が多い季節だったから、というだけではなく、風景の事もありました。映像効果的に言うと、ヒマラヤの自然が一番よく表現できるのが冬だったんです。それに、以前「シルクロード」も同じ季節に撮影したので、お正月のお祭りがあるなど、その時の記憶が全部使えたということもありました。だから「シルクロード」の取材が、ある意味チベットの下見みたいになりましたね。もちろん、作り手としては同じ事はやりたくないという気持ちがありました。
ドキュメンタリードラマでは、俳優は一切使っていません。現地で、実際にシナリオにある役割の人(お坊さんや小僧さん、家族)を探して演じてもらいました。シナリオはありますが、普段彼らが行っている事をカメラの前で我々の意図を説明してやってもらったので、すごく自然な再現ができました。ドキュメンタリーに一番近い所で作っているフィクションですよね。そこには虚偽がない。唯一あるとしたら、ドキュメンタリードラマの方で亡くなった方を演じている人は、本当は生きている(笑い)ということだけです。
「チベット死者の書」が2部作になった理由
今にして思うとですが、貧しい農家に暮らしているごく普通の老人が、死に対する深い考えをもっていること。そして、泣き女のような存在が生きていて、おじいさんを送るために妻や娘がずっと泣いているシーンなど、本当に事実に圧倒されました。いたれりつくせりで来世に送られるという感じがします。ドキュメンタリーの方で取り上げたスタンジン老人の「あとはただ早く死ぬ事を待ち望んでいる」という姿も、仏様のようです。また、ラストで、彼と赤ちゃんが並んで横になっている画像では「ドキュメンタリーのワンカットにも、ドラマ化した映像に負けない可能性がある」ということを見せることができたのではないでしょうか。
そういった意味で「チベット死者の書」はいろんな見方ができる映像作品だと思います。長い間、人間がずっと守ってきた、儀礼や知恵が詰まっている。必ず生まれ変わるという輪廻転生を信じるのも、人間の一つの知恵ですよね。そうした内容だからこそ、放送から15年も経った今、DVDにしていただいて、多くの人に見てもらえるんだなと思います。
現在のチベット、そして日本について
現在のチベットについては、独立に関連した番組などは作っていませんが、その後もいろんな形でもお付き合いは続いています。ただ、現地には行っていません。撮影当時の鮮明な記憶、というか、全てが焼き付いていますから。
今後のことを考えると、ダライ・ラマの存在が益々重要になってくると思います。今回のDVDには、番組取材当時に行ったダライ・ラマのインタビューも収録されています。最近のインタビューだとどうしても政治的なものが多くなってしまいますが、ここでは仏教そのものの話をすごくわかりやすく話してくださっていて、とても説得力があります。本当にチャーミングで、自由で、大変な魅力がある方だと思います。
振り返って日本のことを考えてみると、毎月3000人もの自殺者が出る時代に、宗教の側から何かできないものかという気がします。経済不況になり、いろんな十字架を背負うことになった人達を救う手立てが何もないのかと思います。宗教だけではなく、コミュニティなど、いろいろ可能性はあるはずです。僕自身も「チベット死者の書」で一つ句読点を打って別のことをしてきましたが、DVDが出たことをきっかけにもう一度、立ち戻らなければいけないかなと思っています。
プロデューサー河邑厚徳 「制作の裏側」 その1
それはシルクロードから始まった
今回発売されたDVD「チベット死者の書」の特典リーフレットにも書きましたが、チベットと最初に出会ったのは80年代の始めにNHK特集「シルクロード」の「秘境ラダック」編を作った時でした。実はラダックに入る前に、川を流れている子供の死体をカメラマンと一緒に撮影したことがありました。タージ・マハルという夢のように美しい宮殿の裏を流れるガンジス川の支流、ヤムナ川でした。見ていると川に入った野良犬が死体をくわえて川岸に戻り、食べ出したんですよ。そのうち、犬の周りにニ重三重の輪ができていく。最初の輪は禿鷹などの大きな鳥達。そして、その周りにまた小さな鳥が待っている。わずか30分くらいで、川を流れてきたその死体が白骨化してゆくのを目撃しました。その時、僕はがんで死にゆく患者さんを映像で追いながら日本の末期医療を描いた「ドキュメンタリー・がん宣告」という番組を作った直後でした。日本では死が隠され、病名も告知しない、末期医療のケアもない時代でした。そうした、本当に救いのない状態を見た後インドに行き、病院での死の対極ともいえるむきだしの死を目の前に見て、「死は当たり前の事実だ。人間は死から逆算して生きなきゃ嘘になる」」気づき、「生き抜く」という事が自分のテーマのようなものになりました。
その後、ラダックに行き、密教の教えと共に生きる人々と出会いました。日本人の自分からするとラダックは地理的には遠い秘境ですが、日本の大乗仏教につながるようなところもある。最終的には、信仰が生きている社会で暮らす人々がいかに平和で、欲望のままに物質を求めるような、そういう世界とは違うものがまだ生きているという事を実感し、大感動しました。そして、「いつかこの事を番組としてやらなきゃいけない」という思いが原点になって、それから約10年後の、「チベット死者の書」につながっていきました。
「チベット死者の書」が2部作になった理由
いわゆる“秘境”を撮影する場合、都会に暮らす私たちと比べて、何か特別な世界で風土も違うし文化も違うと、まるで博物館に並んでいる珍しいものを見るような目線で見ることがあります。僕は「チベット死者の書」では、そういうもの珍しさと対極にある作品が作りたいと思いました。ラダックに住んでいる人たちも、同じ人間で、生まれていつか死ぬことは全く共通です。だから、まるで違う宇宙にでも暮らしているように思われているチベットの人達の姿を撮ることで、日本に限らず、文明国と呼ばれる地に暮らしている人達に「命や生を実感しているのか?」「本当に充実した人生を送っているのか?」ということを問いたいと思いました。チベットにはチベット仏教が強く生きていて、人間には肉体や物質だけではなく、心や精神というものがあるという考え方がしっかりと受け継がれている。それを知っているチベットの人達が、驚くほど生き生きと幸福そうに生きているという事実に感動して、そういう点を伝えようと思った。違いではなく、共通性を見ようとしたんですね。
さらにそれを番組にする時には、1本目はオーソドックスなドキュメンタリー、2本目はシナリオがあるドキュメンタリードラマと、あえて2本にしたいと思いました。一つの真実があった場合、表現の仕方にはいろいろあって、別にどっちが嘘だとか、どっちが真実だという事ではない。視聴者に伝えようとしている事をよりはっきりと伝えられるのはどちらだろうか、というチャレンジをしてみようという気持です。映像にはいろんな方法論があるし、自由に作っていいはずだ。そういう事をあえて、やってみようと思いました。
NHKスペシャル「チベット死者の書」は1993年の秋に放送されましたが、実は92年から93年にかけて、日本の映像メディアにとって、大きな出来事がありました。92年の秋に放送されたNHKスペシャル「奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタン」という番組に対して、「NHKがムスタンでやらせの番組を作った」という記事が93年2月の朝日新聞に掲載されたのです。これに対して「やらせだ」と強く批判する人と、「映像でものを作る際には、前もっていろんな準備があるし、再現も含めたいろんな自由な手法がとられるべきだ」と主張をする人が真っ向からぶつかり、半年くらいにわたって、いろんな形で紙面をにぎわしました。
ちょうど僕らは92年の1月にチベットに入って取材を進めていたので不思議な縁を感じましたね。ムスタンもやっぱり標高3800メートルくらいのヒマラヤの古いチベット文化圏でしたから。途中で合流したディレクターが持ってきてくれた新聞を読んだり、その後の一連の出来事を見たりしながら「日本ではドキュメンタリーに対して、非常にナイーブで単純な見方しかないんだな」という事を痛感しました。ドキュメンタリーというのはカメラの前で起っている事を、ただ撮って編集すればいいというものじゃない。作品を作るためには、いろんな準備も、演出も必要です。ただ、「奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタン」についていえば、手法上、誇張したり、あまりうまくない再現を使ったりしたところもあると思います。でもそれは技法の問題で、「嘘をついた」と、倫理的に、あたかも犯罪者のように糾弾する話ではないと思います。
そういう意味では、同じような場所で撮影した素材を、ドキュメンタリーとシナリオがあるドキュメンタリードラマという2本の作品として仕上げ、「映像で何かを伝えるということは、こんなにも幅があるものなんだ」という事を訴えたいという気持がありました。もちろん、それは僕の裏の意図みたいなところですから、この番組を見てそこまで深読みした人は誰もいないかもしれません。ただ、「あの番組はどうして2部作になったのか」という背景には、映像メディアの歴史にとって大きな事件があったという事を思い出して見てもらえると、映像を考えるヒントにもなるのではないでしょうか。
プロデューサー 河邑厚徳
放送から15年後に、このようなDVD企画が実現した不思議に感謝しながら、あらためて埋蔵経(テルマ)の不思議を感じています。現代が必要とする死の教えがそこにあるからです。
河邑厚徳(かわむら・あつのり)
1948年生まれ。NHKエデュケイショナル統括エグゼクティブ・プロデューサー。ドキュメンタリー「仏典に秘めた輪廻転生」、ドキュメンタリードラマ「死と再生の49日」の企画・制作を担当。