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歓びにみち笑いながら死んでいけばいい 山川健一

 ずっと観たいと渇望していた映像を、遂に観ることができた。それがこの「NHKスペシャル チベット死者の書」である。内容は、ドキュメンタリーとストーリィとふたつになっている。中沢新一氏が制作に携わったというだけあり、どちらも期待を遥かに上回るものだった。
 ご存知のように、『チベット死者の書』は西欧社会に紹介され、アンダーグラウンドカルチャーの全盛期だった1960年代末から70年代にかけて世界的なベストセラーになった。世界とは何か。自分とは何か。そんな根源的な問いに多くの若い人たちが向かい合った時代だった。ぼくもそんな中の一人だった。
 だが短い学生生活はすぐに終わり、ぼくは23歳で作家デビューすることになった。
 わけも分からず、小説を書きつづけた。文学というものにこの身のすべてを投じるのだ、と本気で思っていた。
 時代も、上昇気流にのっていた。
 拡大へ。拡散へ。
 まったく新しい未知の価値を探して、胸いっぱいに新鮮な空気を呼吸する毎日であった。やがてレゲエとパンクロックがシーンを席巻し、経済はふくらみつづけ、科学のシーンではまったく新しいコスモロジーを紡がれつづけた。DNA、進化論、量子力学、コンピュータ、インターネット。そんなものを追いかけつづける過程で、ぼくは大切なものを失っていることに気がついた。大切なもの。それは、世界とは何か、自分とは何かという根源的な問いである。
 ゼロ・ポイント・フィールドやホログラフィック・ユニバースというhttp://ameblo.jp/yamaken/最新の科学的な概念に出会った時、ぼくはそのことにハッと気がついた。
「あれ、これって空海が言ってたことやチベット密教が言ってたことと同じだ!」
 振り出しに戻るというやつである。
 だったら自分の30年とは何だったのか?
 科学の歴史は、ぼくらの知覚がいかにあやふやなものにすぎないのかを明らかにしてきた。ぼくらは地面は平らで動かないものだと知覚しているが、実際には地球は球体で、しかもものすごい速度で自ら回転しながらさらに太陽の周りを周回している。
 ぼくらの肉体を含めて物質は原子で構成されているが、原子核と電子の間は巨大な空っぽの空間で、だがどうやらその空っぽだと思われていた空間は振動しているらしい。
 手で触れれば硬い鉱物だって、そのコアは空っぽなのであり、しかも振動しているのだ。人間の知覚的な経験をベースにした物質主義は、こうして見ると、社会的な制約そのものに他ならないのではないだろうか。社会的な制約の中で、ぼくらは五感によって得た情報だけで現実を構成している。五感だけに頼っている限り、その社会的な制約の外の世界を知ることはできないのだ。
 そういうことが、どうやら遥か昔、空海やチベット密教においては自明の理だったらしい。ふと気がつくと『チベット死者の書』の新訳や、新しい関連書籍が何冊か出版されており、ぼくは空海関連の書籍といっしょにそれらを片っ端から読んだ。ひどく古い時代の知恵なのに、不思議と最新の英知が辿り着いたコスモロジーと一致する世界観が、そこにはあった。
 そしてぼくは、1993年に「NHKスペシャル チベット死者の書」が制作されていたという事実を知るのである。しまった、と思ったがもう遅い。あちこち探しまわったのだが、この番組のビデオを入手することはできなかった。かわりに、河邑厚徳氏と林由香里氏が執筆しNHK出版から出た番組と同名の書籍は購入することができた。
 ある日、ジブリの方から連絡をいただき、その探し求めていた映像がDVDでリリースされることを知ったのである。そういうわけで、ぼくはこの原稿を書いている。
 圧倒的な映像である。
 そいつは美しいが、ビーチと海が美しいとか、そういうレベルではない。
 ドキュメンタリー 「仏典に秘めた輪廻転生」においてカメラは「バルド・トドゥル」を読み聞かされる死者の顔をアップでとらえる。死に臨む人の耳元で49日間にわたって読み聞かせる「バルド・トドゥル」は、いわば死後の旅のガイドブックなのである。
 ドキュメンタリードラマ「死と再生の49日」では、アニメーションが効果的に使用され、死後の旅そのものを追体験させてくれる。「バルド・トドゥル」の内容について老僧と少年僧とが対話し、それを聞いている視聴者がごく自然にその内容を理解できるようになっている。
 人間は何のために生きているのか。
 この人生には意味があるのだろうか。
 そんな問いに、ドラマの最後に老僧がヒントを与えてくれる。
 ぼくらが泣きながら生まれてくる時、周囲の人々は歓びの声をあげる。ぼくらが死んでいく時、周囲の人々は泣き、だが死んでいくぼくら自身は歓びにみち笑いながら死んでいけばいいのである、と。

「熱風」2月10日号より転載


山川健一(やまかわ・けんいち)

1953年、千葉県生まれ。作家・ロックミュージシャン・アメーバブックス取締役編集長。早稲田大学在学中より執筆活動を開始。『天使が浮かんでいた』で早稲田キャンパス文芸賞を受賞。1977年、『鏡の中のガラスの船』(講談社)で群像新人賞優秀作受賞。代表作に『さよならの挨拶を』(中央公論社)『水晶の夜』(新潮社)『ロックス』(集英社)『安息の地』(幻冬舎)など。最近作は『幸福論』(ダイヤモンド社)『イージー・ゴーイング頑張りたくないあなたへ』(アメーバ・ブックス)など。最新刊は『リアルファンタジア 2012年以降の世界』(アメーバブックス新社)。
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