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2006年5月31日

監督から

ジブリがいっぱいCOLLECTIONスペシャル「種山ヶ原の夜」 監督から

宮沢賢治の作品の中で、心引かれる物語がいくつかあります。特に、山間の集落で暮らす人々の日常の生活や、それをとりまく風景が描写されている作品が、僕の心を捉えます。
いつかそれらの物語の中に自分も入り込んで登場人物と同じ体験をし、そこで見たとおりの風景を再現してみたい。
以前から、そう願っていました。

『種山ケ原の夜』は、まさに絵にしたい作品のひとつでした。

賢治が生きていた時代、北上の山間に暮らす人々の生活は決して楽なものではなかったと思います。
厳しい環境や労働に耐え凌ぎながらも、山の恵みやわずかな耕地の収穫を喜びとし、季節の行事や祭り事を楽しみにして、自然に感謝と恐れの念をもって暮らしていたに違いありません。そんな人たちだからこそ天候や山の変化に敏感に反応し、時には、不可思議と思えるような山の音を聞いたり、一瞬の光と影の動きを目に留めて、何かを感じとったりしていたのかも知れません。
それは、強い刺激や情報の氾濫によって鈍感になってしまった現代人が忘れかけている感覚(能力)だと思うのです。

僕は、長年東京でアニメーションの仕事をして生計をたてながら、思いはいつも生まれ育った秋田と奥羽の山々にありました。
幼いころから山の懐を歩き回り、そこで触れた自然との体験を自分の心の支えとし、仕事や子育てに必要な栄養源にしてきたのです。
東京での暮らしも、出来るだけ都会を離れて、自分が生まれ育った田舎に少しでも近い環境で送りたいと思い、八王子に住まいを構えて20年間、多摩の山々にお世話になりながら、静かに生活してきたつもりです。
それでも、派手なものや、巨大なもの、刺激の強いものなど様々な情報が氾濫している今の時代、そのような騒音に対して全く耳を塞いで静かに暮らしていくことなど、なかなか出来ないことです。そして、そのことを歯痒く思っているのです。
なぜなら、情報のない世界で暮らしている時のほうが、自然の声や人の言葉がすっと自分の中にはいってき易いし、そんな暮らしの中で、目をこらし、耳をすまし、静かなものに関心を寄せる事で、何かを感じる力が、さらに膨らんでいくような気がするのです。
だからこそ、この“種山ケ原の一夜”に強く憧れを抱き、主人公の伊藤君に憧れ、伊藤君になりたいと思いながら、
この作品に係わってきました。

原作は全編を通しての会話が岩手の方言で書かれています。
方言は、その地方を構成する野山の植生や、気候、風俗習慣と同じ重要な一員だと、僕は考えています。
台詞に関しては、ニュアンスを変えない程度に分かり易くした部分はありますが、ほぼ原作に近い方言のままの台詞で、僕と同郷の俳優、山谷初男さんと角館の子供たちに演じて頂きました。
音楽に関しては、もとから小編成でのオーケストラ音楽を考えていたのですが、クラシック・ア・カペラ・グループ、アンサンブル・プラネタとの出会いが、まさに美しい声だけのアンサンブルによって種山ケ原の世界をさらに広げてくれました。
そのほか、たくさんの人たちの協力で素敵な作品になったと思っています。

「夢」の中で木の精が最後に伊藤君に話すところで、僕は原作にない台詞を付け加えました。
「そだらそれでもええべ。伐った木は大事に使ってけらい。ええ木炭、焼げばいがべ」。
これは、山の懐の大きさを思って加えた台詞ですが、同時に限りある自然から分けてもらうものは最小限に抑え、しかも、大事に生かさなければ、との思いを重ねてあります。
自然のゆっくりした速度に合わせ謙虚な姿勢で接していれば、山は、いつまでもこもんとした立派な姿で、我々に恵みをあたえてくれるのではないでしょうか。