2001年3月
3月1日(木)
「明日から来て」と制作・神村氏が、QAR要員として顔合わせに来社した松原氏に突然の出社要請。本人は眼を白黒させていたが、制作一同の眼は真剣だった。
△△△で色指定をお願いする○○氏が、助手の方二人を連れて来社。まだ某長編作品が終わっていないため、出社はとびとびになるが、大きな前進だ。まずは助手の方にレタスを覚えてもらう予定。一方、動検□□氏が出社し、明日からの色指定用にキャラのクリーンナップを行ってもらう。
3月2日(金)
「千と千尋」の線取り素材の作成のため、QAR専属として制作に新人アルバイト松原君が入る。まずはQARの基本操作を覚えるところからはじめたいところだが、時間がないので即本番でやってもらうことに。
△△△動検・坂本さんの出社に伴い、カットのための棚を購入する。作監用の棚は、○○さんの棚を増設して共有することになる。
3月3日(土)
ちょっと一息の意味もこめて、「千と千尋」の関係会社からのありがたい差し入れで、夕食時にバーにて食事会。ハムやチーズやサラミ、果汁100%ジュースで腹をふくらませる。もちろんまだまだ仕事をするので、アルコールは無し。
3月5日(月)
制作部、高橋、望月、田中、映像部石井らが、韓国のD・Rムービーの協力を仰ぐため打ち合わせに出かける。朝7時に新宿集合1泊2日の強行日程だ。
△△△では明日のT2スタジオでの打ち合わせの準備。レイアウトのシミュレーションやボードの取り込みなど、打合せで煮詰めるべき点は多い。
3月6日(火)
韓国出張班が夜7時に成田空港に到着。打合わせと見学の連発で、ホテルにいる以外の自由時間は1秒もなかったとか。
△△△の美術ボードの取り込みや、仕上げに関する諸々についてT2と打ち合わせ。その際T2高橋氏から、デジタルにまつわる様々な苦労話も聞く。それらをふまえて、こちらも出来ることをしていきたい。まずは色指定さんの環境整備を行わなければ。
3月7日(水)
制作部韓国出張班が出社。一泊二日の強行軍だったがさすがにお土産位は空港で買ってきたらしい。しかし、キムチ、韓国海苔は良いとして、マカダミアナッツがその中に混じっていたのには、「ハワイじゃあるまいし」との声がしきり。
3スタ用「決定稿」のハンコを引き取りに行く。本来の納期より一月も遅れているのだが、でき上がったものはやはりただのハンコだった。
3月8日(木)
今年の夏決行が予定されている四国八十八箇所自転車巡礼の旅にむけ、高坂氏が四国の10万分の1の地図を購入してくる。今までは、米林氏が学生時代に使用していたボロボロの地図帳から、四国の部分を拡大カラーコピーして四国を理解していた有り様だったので、B3版26ページに及ぶ四国は広大に感じられる。
△△△の美術・吉野氏来社。契約その他について話し合う。
3月9日(金)
森田氏が、△△△の絵コンテを静かな環境で描くために、会社近くの個室を使ってもらうことになる。しかし、作業する机がないのでちゃぶ台を購入。
3月10日(土)
斉藤君は下痢のため午後出社。神村氏は頭痛のため休み。望月氏も体調不良で休み。本日の制作は壊滅的状況で、伊藤君が孤軍奮闘でがんばっている。午後出社した斉藤君も、へろへろ状態で動画回収に向かっていた。
△△△演助・鶴岡氏の労作である絵コンテQAR撮りのムービーをAVIDに移す。
3月12日(月)
先週60カットと、最近は毎週猛烈な勢いで原画が上がっているが、山形さんの手持ちがあと1カットとなり、大慌てで、手持ちの多い原画マンからカットを回す算段をする。さあ、来週の目標は68カットアップだ。
花粉症が猛威を振るう中、制作・出口氏の症状がかなりひどいらしく、お休み。電話の声も力無かった。
△△△色指定・三笠氏と背景・吉野さんに、演出・森田氏より作品の方向性についての説明がある。その後、それぞれに打ち合わせを行う。制作はそれにあわせていろいろ準備しなければならないのだが、相互確認が必要なことも多いのが悩みどころだ。
△△△レイアウト上がりが原画・大塚さん、西尾さんより出る。
3月13日(火)
「千と千尋」線撮りの打ち合わせを朝一で行う。各セクションでのカッティング、アフレコに向けての作業も慌しくなってきた。
韓国から来ていただくことになった△△△背景・申さんのために、ジブリで借りている通称201号部屋を整理するが、風呂場や、部屋の隅から高橋さん等が隠していた(?)様々なグッズ、書類、ゴミが出土する。その後それらを「上げるよ」と押し付けあったのは言うまでもない。
△△△の原画さん各氏と連絡を取ったところ、決まっているだけでも4人の方の作打ちが入り、来週は作打ちラッシュになりそうだ。
3月14日(水)
4時より「千と千尋」のフィルムテストが行われる。
申さんが日本で暮らせるように、寝具一式を買ってくる。昨日まで雑然としていた部屋が整理され、生活感ある部屋になっていくのは気持ちがいい。
3月15日(木)
恒例のジブリミーティングが11時から開かれる。「千と千尋」の前売り券が発売されたことなどが報告された。で、肝心の制作はというと、原画はものすごい勢いで上がりつつあるが、あいかわらずそれ以降遅れた状況が続いている・・・。
3時から「千と千尋」のラッシュが行われる。
△△△原画・平松さんの作打ち日が決定。じわじわとスケジュールが消化されていく中、演出・森田さんは朝から201号室にこもってちゃぶ台に向い、絵コンテに専念。
3月16日(金)
「今ごろになって原画がこんなに来やがって」と、積みあがった原画の高さを手で示しながら宮崎監督がぼやいている。「でも、安藤のとこにはもっとたまってる」と手をさらに広げてにやり。
忙しいな最中の慰めか、制作では相変わらずジュースやお菓子のおまけや景品集めが流行っている。ストラップだのマスコットだの白いお皿だの、いったいどれだけ手を広げるのか?
△△△班の背景スタッフとして、韓国から申さんが来日。申さんはかなり日本語が話せるのだが、美監の田中直哉氏はこの日の為に韓国語を猛勉強、韓国語を駆使して、申さんにスタッフを紹介していた。
韓国出張班の準備が着々と進んでいるが、インターネット上では、思ったより日韓の交流が進んでいた。それを助けているのが、無料の日韓、韓日翻訳サイト。ハングルと日本語は文法が似ているので、翻訳もしやすいのか、かなり翻訳のレベルが高く、同時翻訳チャットまで存在している。申さんに聞いたところ、「韓国と日本で、お互いの言葉が全くわからないのにメールのやり取りをしている人もいるよ」とのこと。う~ん、科学の進歩は素晴らしい。
3月17日(土)
「千と千尋」の作打ちで、原画・山森氏のお父さんが昔描いていた貸本漫画を宮崎監督が学生時代読んでいたという話になり、作打ちそっちのけで監督による「貸本屋における漫画の歴史」の講義に。しかも、監督にも少し不明な点があるので「今度親父さんに聞いておいて」と山森氏は宿題まで出されていた。
「千と千尋」の第一回アフレコ日程が決まる。
3スタに続々とインする△△△のスタッフのスペースを確保するため、ジプシー状態だった制作・出口氏の間借りしていた席がついに無くなる。今度はパソコンラックに間借りしているのだが、さすがにその狭さには限界がある。そろそろバロン帝国主義政策の発動か。
△△△動検・坂本氏と色指定・三笠氏がT2へ見学に行き、撮影監督の高橋氏と疑問点について話し合う。やはり直接話す機会を持つのは有意義だ。
3月19日(月)
「フジヤマカシパンって知ってる?」との宮崎監督からの質問に「おいしいんですか」とか「どこにある店ですか」などと応じていたら、どうも生き物の名前らしい。またスタッフをからかってるのかと思いきや「うそだと思うのなら調べてみろ」と監督は強気なので、ネットで検索する。すると、海に棲む生き物で本当にそういう名前があることが判明し、一同唖然。監督は誇らしげに勝利宣言していた。でもとりあえず分かったのは名前くらいで、どんな生き物なのかは謎のままだ。
3月20日(火)
スタッフ全員が集まり夕方からバーにて韓国出張班の壮行会が行われる。ピザやジュースのみの簡単なパーティだ。ところが23日に韓国へ向う三人のうち、斎藤氏一人がなぜか会社を休んでいる。なんでも会のことを知らず、韓国での生活用品を買いに行くため休んだらしい。
3月21日(水)
韓国へ出張する動画検査の二人に、作画メインスタッフからの説明会が3階の畳の間で行われる。動画検査上のチェック事項、作画監督からのアドバイス、演出助手からのセル分け処理に関する説明等内容は多岐に渡り、図らずも作画メインスタッフの中間報告会を兼ねた形となってしまった。
△△△の作画も少しずつ進んでいる。原画・平松さんの作打ちが行われる一方、原画・西尾さんのレイアウト上がりが出る。
3月22(木)
「千と千尋」第二回カッティングが終了し、ラッシュ上映が行われる。本来なら今回はR-2からのカッティングなのだが、カットの上がりの都合上、やむなくR-3、R- 4を先行。しかしR-2を抜かしては、やはり全体のテンポがつかみづらいと宮崎監督は嘆いていた。
△△△の制作が、森田さんを交えてスケジュールについて話し合う。
3月23日(金)
「やっぱりエレベーターのところ、タイミングを変えたい」と宮崎監督が昨日のカッティングに変更を要請。朝から瀬山さんに再び入ってもらい、変更作業。皆さんに迷惑はかけたものの、おかげで、エレベーター一連のシーンがテンポアップ。
新しい線撮り用マックを制作部に設置。月末からの「千と千尋」アフレコに向けての体制が整いつつある。
△△△のボードの取り込みについて、T2より連絡。夜便に乗せてデータを送ってくれることになる。
12時半の大韓航空機にて、田中、斎藤、大橋の韓国出張班が出発。ちょうど金浦空港に向う途中で、落下中のミールと遭遇したが(地上より近かったはず)、何事もなく無事到着となる。ソウル市内へ向う途中、夕方のラッシュに巻きこまれ、宿に着いたのが6時過ぎとなったため、明日DRムービーへ向うことに。その旨ジョンさんに連絡し、今日は明日からの作業に備えてゆっくり休むことにする。
3月24日(土)
ソウル地下鉄2号線でDRムービーに向う。プレジデントのジョンさんの案内で関係者に挨拶し、仕事ができるように机をセッティング。回りのアニメーターに怪しげな韓国語で挨拶を交わし、午後からあらかじめ送っておいたカットの動画チェックをスタート。またどうなるか不安だったインターネットへの接続もうまくいき、一安心。
机や回りの雰囲気等に違和感なし、早速作業開始。
3月26日(月)
「千と千尋」の制作発表会が行われる。今回はいつもの格式ばった場所ではなく、ジブリ試写室での予告編上映の後、皆で江戸東京たてもの園にバスで移動してもらい、そこで記者発表を行った。
春といえばこれ、恒例のお花見弁当が昼食時に配られる。しかし、雨と強風という空模様もさることながら(花見弁当が食べられない韓国出張班の呪いという噂も)、尻に火がついてとてもお花見出来るような状況ではない。せめて気分だけでも…と桜の塩漬けをかみしめる。
『アフタヌーン』連載「茄子」でジブリの自転車好きを沸かせてくれたマンガ家・黒田硫黄氏が夕方に突如の来社。映画雑誌のコラムの取材を兼ねてとのことで、制作発表から宮崎監督が戻るのをしばらく待っていただく。ようやく戻ってきた宮崎監督は、そのまま長い間黒田氏と会談し、帰られる頃にはとっぷりと日が暮れていた。やはりもっぱら自転車の話をしていたらしい。一方、メインスッタッフの間では、黒田氏がお土産に持って来てくれたイタリア製茄子の漬物を、何と付け合わせて食べるのがベストかで夜中に盛り上がっていた。ところで、先月のファンレターの件でも忘れ去られ、今回は遠く韓国でそのニュースを聞いた制作・田中氏は「誰かの陰謀に違いない・・・おのれ~」とまたもや誰とも無しに呪いの言葉を吐いていた。
先週金曜の夜に車で追突された△△△制作・出口氏が今日は風邪を引いて休み、と災難続きだ。
T2より、△△△のボードのデータが到着。
3月27日(火)
「見ろ、これがジブリの写真だ!」と興奮気味の宮崎監督が、写真を皆に見せてまわっている。何かと思ったら、以前から交流のあるイタリアの飛行機会社から、「ギブリ」という古い飛行機の当時の資料が送られたとのこと。ジブリの名前の由来でもある飛行機は、なかなかスタイリッシュなデザインだった。
ホームページに掲載された韓国出張班の写真を見た館野さんは、すかさず写真に映ったカット棚につまれているカット袋の数を数えてあれこれと予測をたてていた。鋭い観察力と執念に脱帽。
「千と千尋」アフレコ日も近づき、画像取り込み作業にも拍車がかかってきた。
3月28日(水)
明日からのアフレコに備え、「千と千尋」のQAR取り込みは今日もひたすら 続く。
△△△の色指定の方向性について、森田さんを交えて、仮塗りをしているモニ ターを見ながら打ち合わせが行われる。
△△△絵コンテのシーン15、66カットが上がる。△△△がついに登場した。
ソウルのチェック作業も着々と、といきたいところだが、動画マンがジブリ独特のルールに慣れていない面が多く、直しに時間がかかる。こちらの動画チェックの人にも説明をしつつ、直しを少なくしていきたいところ。
3月29日(木)
本日より1週間、「千と千尋」のアフレコを集中的に行う予定だ。第1弾は、 最近の日本映画では思わぬところでお目にかかることも多い我修院達也さん。青 蛙役で、アドリブのおもしろさに宮崎監督も笑いをこらえるのに必死の様子。し かし音響スタッフにとっては、お昼を食べ損なった監督の、お腹の音の方が気に なって仕方がなかったようだ。
ソウルに来て約一週間になるが、なかなか大変なのは食事である。近所に食堂はたくさんあるのだが、ほとんどがハングル語の表記のみ。東小金井の定食屋に英語表記が書いていない事を考えると当たり前といえば当たり前なのだが、辞書を片手に入るものの、食べ物の名前を調べるだけで、一苦労。ようやく意味が分かって注文すると、それは駄目だというジェスチャー。よく見るとどうやら頼んだものはランチメニューだけらしい、等々。冷や汗の毎日を送っている。因みに味は全く違和感ないどころか、確実に東京の食べ物よりおいしい。
3月30日(金)
昨日に続き本日も朝からアフレコ。監督が台本を持ってくるのを忘れるというハプニングもあったが、なんとか無事終了。
△△△で大塚さんが担当した○行列の原画が、行列部分のみながらも上がりが 出る。
出張班斎藤氏がチェックしたカットで作画抜けが発覚し、リテークとして戻す。釜山で作画したカットだったので、釜山まで戻すそうだ。ここまでは、リテークも少なく順調。
3月31日(土)
アフレコのためキャストや関係者、報道陣など多くの方々が来社し、社内を見学する。ある原画さんは、作業中に机をのぞかれた気配を感じて顔を上げてびっくり。目の前に菅原文太さんが興味深そうに立っていたのだ。一瞬、何が起こっているのか分からなかったとか。
先週から体調不良で一週間ほど休んでいた△△△制作出口氏が本調子ではないものの出社。△△△班も一安心。
今日からソウル入りする、映像部石井氏を迎えに、DRのキムさん、ジョーさんと共に新しくオープンした仁川国際空港に車で向う。ところが成田の天候が雪だったため、なかなか離陸が出来ず、ソウル到着が一時間以上遅れてしまい、空港で二時間も待ちぼうけを食う。それにしてもこの空港、スケルトンエレベーターといい、半透明な空中回廊といい、実に近未来的な作りで面白い。