対談 亀渕昭信×大瀧詠一(5/6)3.11の前と同じようにできるかどうか
亀渕:大瀧さんに聞きたいことがひとつあるんだ。いろいろとバラエティに富む音楽を聴くことが出来るこの時代、かつてもビートルズのようなポピュラー音楽の主流ってあるのかな? なんだか、最近はカテゴリーも細分化されて、例えばレディ・ガガも一時的な現象で、社会生活とか人の生き方にまで、影響を与えているようには思えないんだけれど……。
大瀧:じつはそういうことに興味がないんだ。音楽は今までずっとあったわけじゃないですか。例えば手拍子でも歌えるわけだしさ。祝詞を上げているのだって音楽だって言っちゃえばそれでいい。ずっと大もとに戻れば、例えば五穀豊穣を祈るだとか、何かのときには踊ったりとか歌ったりとかが原点にあって、人間のある種の感情とか考え方とかの発露であるならば、音楽はずっと今までもあったし、これからもある。それがメディアによってどう伝えられるとか、あるいは商品とか、そういうものの将来とかには興味がないという意味なんだけど。
亀渕:なるほど……。
大瀧:メディアはSP盤から33回転と45回転になりカセットになってCDというように常に変わっていくけれども、別に音楽そのものは別段どうということはないし。
亀渕:確かに音楽なんてそういうものか。
大瀧:だから、無きゃ無くても生きられるんだよね。僕は1985年にそれまで続けてきた音楽活動を一旦休止したんだけど、そのとき自分にとって音楽は無ければ無くてもいいなと思った。プライオリティーが下がったんだ。はっぴいえんどを始めた1970年から85年までは音楽が一番だった。だから音楽をやってきた。で、85年からの一番のプライオリティーは、命になった。
亀渕:命?
大瀧:命あっての物種。とりあえず命がありゃいいかと思ったんだ、音楽の前に。
亀渕:それも大瀧さんが音楽活動をお休みした理由かな?
大瀧:活動休止の理由はいろいろあったんだけど、さっきのペイオラの話みたいな、メディアが音楽の本質と関係ないことだけに進んでいったら全然面白くない時代になるだろうなとは思っていた。
亀渕:特に3.11のあとは、僕も老い先は短いけれど、世間の多くの方々と同じように、自分で立っていないと、自分を持っていないと、つまり自立と自律かな、そうじゃないとこれからは大変なことになると感じた。お母さん方が放射能のことを考えなければならない世の中なんて、ひど過ぎるよ。大瀧さんは岩手のご出身でもあるし、いろいろと辛いこともあるのではないかと思ったんだけど……。
大瀧:いや、何もないよ。僕は、いかに3.11の前と同じようにできるかどうかが勝負だと思っているんだ。
亀渕:そうか、それは大事なことだね。僕も最近何度か、東北に行くチャンスがあるんだけれど、北はとっても静かで美しい。そしてみんな何かに耐えているように感じる。
大瀧:東北人は怒らないって話でしょう。でもね、本人たちは別段不幸だと思っていないよ。不幸って、比較の上にできるわけだから。
亀渕:なるほど。
大瀧:比較は不幸の始まり。そこがどれだけ田舎かなんてずっと田舎にいたらわからないから。じつは、田舎と都会のこの関係を説明する上で象徴的な歌があるんだ。
亀渕:象徴的な歌?
大瀧:「お月さん今晩は」という歌(※1)。これが「こんな淋しい田舎の村で」という出だしなんだ。作曲家の遠藤実さんに会ったときに、「こんな淋しい田舎の村で」って、当の村人は歌い出さないはずだと聞いたんだ。
亀渕:そりゃそうだ、自分たちのことだものね。
大瀧:「比較がなければ『こんな淋しい田舎の村で』って田舎の人は歌わないでしょう」と言ったら、「あそこは作詞家の先生に変えられた」って。遠藤さんは初期の頃は自分で歌詞を作っている。それで、あれは初期のヒット曲だったので、遠藤さんが書いた歌詞があったんだけど、松村又一さんという大作家がいて、先生に変えられた─というか、変えざるを得なかった。遠藤実さんは東京生まれだけれども、小さい頃新潟に疎開して育っている人だった。遠藤さんが書いたのは「地図にないよな田舎の村で」なんだけど、「地図」っていう出だしが歌いづらいと。
亀渕:「地図」という言葉は、息が漏れちゃいそうで、発音が難しいね。
大瀧:「地図にないよな」っていうのも比較は入っているけどさ(笑)。それを松村又一さんが「こんな淋しい田舎の村で」と変えた。でも、あれは内側の人の言葉じゃないわけ。だから、外の人が見た詞ではないかというふうに遠藤さんに言ったら、あれは歌いづらいから松村先生に変えてもらったと。
亀渕:面白い話だねえ。
大瀧:だから、東北の人はかわいそうねというのも、中央の人の考え方なんだ。
亀渕:確かに……。幸せかどうかなんて、比較対象がなかったらわからないもんね。
大瀧:どこの人の話もみんなそうなんだけど、中央から離れた目での東北論しか世の中にはない。さらに言えば、中央の人はそうだということを東北人は知っている。だから、そう言われることも含めて役目を請け負って演じているという面もあるんだよね。
※1 1955年(昭和30年)に発売された流行歌。松村又一作詞、遠藤実作曲、藤島桓夫歌唱。