対談 亀渕昭信×大瀧詠一(6/6)始まったものは必ず終わる
大瀧:最後にちょっと本の話に戻るけど、レコードがあって、それからラジオができたという話があったでしょ。我々はラジオがあってレコードができたのかと考えてしまいがちだけど、じつは逆だったという。
亀渕:だから、最初は音楽業界も反対していた。ラジオで曲をかけたらレコードが売れなくなっちゃうよって。ラジオでただで聴かれるのは困ると。
大瀧:日本でもかつて同じような話があって、吉本興業の桂春団治の話なんだけど。春団治が、ラジオへ出たら客がだれも来なくなるというので出ないようにと言われる。でも春団治は目立ちたい人だったから、大阪じゃなく京都のNHKでやったんだ。ラジオでじゃんじゃんやって人気が出たら、寄席にも人が来るようになった。で、これはラジオでやったほうがいいんだということになって、それまでラジオを敵に回していた興行界も今度はラジオを使うようになった。
亀渕:コロッと変わった。今もCDは売れないけどライブには人が入るという話をよく聞くようになったけど、これも悪いことじゃないんじゃないかな。
大瀧:そう。ラジオのせいでレコードが売れなくなるとか、ネットのダウンロードでCDが売れなくなるという話はみんなするけど、でも、レコードが出る前は演奏会へ行っていたわけじゃない。CDが出てくる前にCDはなかったわけだから、例えば1枚も売れなくなったとしても、前の時代に戻るだけのことじゃないか。つまり、一番の盲点は、ずっと永遠に全部のものが続くという前提。
亀渕:それは世の中、ずっと経済が右肩上がりでなければいけないという幻想と同じだ。
大瀧:だから、上がるにはどうしたらいいかという発想しか出てこない。右肩上がりを永遠にという前提で考えたら、破滅の道だということぐらいは簡単にわかるはずなんだけど。
亀渕:それは今のエネルギー問題なんかにもつながるね。いろいろな方がおっしゃっているように、今の自分たちの生活をどうやって変えられるかなんだろう。
大瀧:エルヴィスもビートルズも、音楽は永遠かもしれないけど、活動には必ず終わりがある。始まったものは必ず終わる。だから、何にもなかった頃に戻るというのは結構なことじゃないかと、僕は思っているんだけどね。
(2011年8月25日、東京會館にて)
- 亀渕昭信(かめぶち あきのぶ)
- 1942年、北海道生まれ。1964年、ニッポン放送に入社。番組制作や深夜放送「オールナイトニッポン」のパーソナリティを担当。1999年から6年間同社代表取締役。2008年退任後、NHKラジオ第一放送「亀渕昭信のいくつになってもロケンロール」のDJを2年間担当。現在も同局で「にっぽんラジオめぐり」などでパーソナリティを務めている。2008年から2010年にかけて本誌に「ドーナッツ盤に恋をして」を連載、『亀渕昭信のロックンロール伝 ビートルズ以前、16歳の僕はドーナッツ盤に恋をした』(ヤマハミュージックメディア)として発売された。
- 大瀧詠一(おおたき えいいち)
- 1948年、岩手県生まれ。1970年に細野晴臣、松本隆、鈴木茂とはっぴいえんどを結成。72年にバンド解散後、ミュージシャン、プロデューサー、レコーディングエンジニア、ソングライターとして、自らのソロアルバムやCM音楽などを制作。また、東京福生にあった自宅をスタジオにして、レコーディングや自ら出演するラジオ番組の収録なども行った。1981年のソロアルバム「A LONG VACATION」と、1984年の「EACH TIME」が大ヒットするものの、1985年に音楽活動を休止。その後、旧譜のリマスター盤制作や、自ら企画したラジオ番組の出演以外は沈黙を守っている。1997年にテレビドラマの主題歌としてシングル「幸せな結末」をリリース。2011年3月に、「A LONG VACATION 30th EDITION」を発表した。