目次 | |
■This is CONAN すばらしきマンガ映画 ■Prehistory of Conan ■Conan's diary コナン行動日記 ■Characters profile ■Stage Setting catalog 大道具カタログ ■Properties catalog 小道具カタログ ■Story guide 26 ■Staff list ■『未来少年コナン』企画案 ■宮崎駿オリジナル・ストーリーボード ■Conan world 基本設計 ■Music ■『未来少年コナン』に接して〜池田憲章〜 ■表紙制作プロセス | |
目次の「Conan world 基本設計」ページにある宮崎駿監督のインタビューを全文掲載します。実際のページでは詳しい設定資料とともに収録されています。 | |
「Conan world 基本設計〜宮崎駿・作品設計考」より 「『コナン』はこうなってほしいと思うようにつくってきました。跳べるんじゃないかと思ったから跳んだ。足の指でつかまれるんじゃないかと思ったからつかまった。コナンは決してスーパーマンじゃない。本当はああうまくはいかないかもしれない。けれども、もしかしたらやれるんじゃないか、そう思えばなんでもやれるものです」と語る宮崎氏。氏のコナンへの思いをいろんな面から語ってもらった。 願望含みの想像でつくっています。最終戦争があって地軸が曲がったくらいだから、かなり破壊されているはず。そんな荒れ果てた世界でも放っておいたら緑がよみがえってくる、これは日本人の発想ですね。 日本は雨が豊富で、草を刈ってもすぐにドンドン伸びてくる。ところがヨーロッパは違う。芝刈りなんかをしているのも、ただそろえるためだけに刈っているのであって、放っておいてもそれほど伸びる訳ではないのです。 第2次世界大戦後の日本の食糧難は大変なものでした。それでも、第1次世界大戦後の食糧難を体験したドイツ人にいわせると、日本のほうがずっとよかったのだそうです。日本ではそこらへんに生えている草が食べれたから。まずくてもとにかく口に入れられた。ドイツではそうはいかない。草なんか生えてこないのです。 それほど日本の自然の回復力は優れています。だからかえって海に流せばきれいになる、みたいな自然に対する甘えがありますが。 ともかく『コナン』に登場する人たちは、みんな日本人のつもりでやりました。だからことばの問題がない。髪の毛の赤い人も登場しますが、みんな真っ黒の髪じゃつまらないから。ハイハーバーもインダストリアも、それほど遠く離れてはいません。ただ、交通手段がないから遠いなぁ、という気がするだけです。 地球上には、コナンたち以外にもまだほかに生き残っている人々がいるかもしれない。『コナンパート2』をつくるとしたら今度はそういう人々、ことばの通じない相手との関わりを追ってみようと思っていましたが、なかなか難しい。それでパート2はできないんですよ。 最初は、コナンとラナは新時代のアダムとイブのような存在かと思いましたが、そうとも違うのです。コナンは、ラナを追うことでいろいろなことを知っていっただけです。 平凡なときには平凡な人間でも、動乱の時代にはとんでもない働きをしたり、変わるものです。人間はもともと多面性を持っています。その一面の姿が、状況によって高揚する。コナンはそういう状態だったのです。 コナンがインダストリアの地下住民に対して好意を持って近づいたらひどい目にあう、という話も考えたんです。でもそれでは救われなくなるのでやめました。 コナンはただの子どもです。健康に楽しく暮らすことだけ考えている。自分の日常生活を大切にして、島に戻ったら村を作って魚を捕っていればそれでいい、という人間です。スーパーマンではないし、英雄にもしたくなかったですね。あれだけの活躍をしてハイハーバーに戻ってきても、村人はコナンをちやほやしていないですよ。 足をよく使ってけっているのは、「手でなぐる」というのがつまらないからです。もう動きとして決まりきっているし、いかにも正義の味方、みたいで。足を使った方がこっけいで、表現としてやわらかくなりますから、足を多用しています。 1機しかなくて始めから終わりまで大活躍でしたが、あれは砂漠からひっぱってきて修理して、やっと使えるようにしたんじゃないかという代物。ボロボロになって壊れてしまう(25話)おしまいまで使いましたが、愛情さえ感じていましたよ。きちんと最後まで見届けたし、スタッフの中には「さんざん使われてかわいそうに」という者もおりまして。 乗り物はどこに乗ったかよくわかるようになっているのが好きですね。プロペラが回っていても操縦席が見えるような。だからファルコのプロペラは後ろについているんです。 スピードの速い飛行機であっとう間に目的地に着いた、というのではイメージがしぼんでしまう。芒洋とした広がりを感じさせるイメージの距離が大切なのであって、実際の距離や正確な時間の推移にはあまりこだわらないです。 それと同じように、機械類の構造も本物である必要はないでしょう。だからこそギガントにしても、ファルコにしても、飛びそうにないのを飛ばすことができるのです。スピード感や運動のさせ方、飛ぶ手順をそれらしくやれば、いかにも本当に飛ぶように思えるものです。 ただ、バラクーダ号になると、人力で動く以上人間が一生懸命働かないと動かない。ドンゴロスはなにも好きでコナンたちをいじめてこき使っているのではなく、本当にそれぐらい働かなけれ動かないからです。そういうところはきちんとしています。 ダイスはまったく営業的な人間です。打算と感情が一致しており、頭の中でカチャカチャ計算しているわけでもなく、こうするのが自分にとって1番いいと思うとすっと媚(こび)を売ったりするタイプ。決してロリコンなどではないし、ラナに対しても横恋慕したわけではないのです。ラナに取り入っておけば、ハイハーバーに着いてから何かと有利になると思ったから、ああやってチヤホヤしているだけ。その証拠に、平気でバラクーダ号の船首にラナをしばりつけています。 調子のいい男だけれど、本人はその時々で心からそう思っているんですね。海の男としての部分があるのでやっと救われている。 コナンが最初に行った時と、2度目に意を決して行った時とでは、かなりインダストリアの状況が違っています。 インダストリアでは、すべてを石油にたよっています。食べ物は石油からつくる合成食品だし、衣類も石油から。だから、石油のもとになるプラスチックをダイスが運んでこないと大変なパニックになる。三角塔の中で科学者たちが「このままでは3ヶ月持たない」というセリフがありますが、レプカなんかは追いつめられて発狂寸前だったんじゃないか。そういう深刻な状況で、社会的安定度が不穏になっていったわけです。 社会構造を考えると、1等市民、2等市民、地下住民など、まるでカースト制度です。点数問題とか、それぞれの階級の個人個人のことととか、克明に描き始めるとそれに足をとられて別の次元の話になっていくる。9話で、牢屋番がコナンを逃した罰で減点されていますが、はっきりと出しているのはわずかです。テリットがひとりであと何点だ、どうのこうのと騒いでいてかわいそうな気もしましたが、めんどうにしたくなかったのです。脱出するときにも、感情のもつれがないよう、みんなわけへだてなく差別のないように。 ひとつの社会が変わるのは、それほど簡単なことではありません。それゆえに、革命劇のパターンや最終戦争のもつ重みなど、なるべく避けようとしました。 ラオ博士は、世界を滅亡させた太陽エネルギーの発明者として重い責任を感じ、生き恥をさらしながらも次の世代への橋渡しをしようとした人間です。でも善人ではない。ラオ自身、自分でそのことを知っていて、どうしてもゆずれないことがあったら非常な仕打ちもできる性格をもっている。たとえば危険を承知でラナも連れて三角塔に入って行ったりしており、場合によってはラナが犠牲になっても平気かもしれない。 自分たちのやった後始末をきちんとするために生き延びていたが、やはり新しい時代のためには死ななければいけない必要悪の存在だったですね。それは、太陽塔と最期をともにした科学者たちにも通じるところがあります。 たとえまんが映画でも、こういう人間の存在の基盤はウソにしたくなかったです。 終わりのほうで、地下住民たちやみんなが解放されていく中、ラナだけがラオにしばられてますます束縛された状態になっています。ラオ自身、目や耳が不自由になり、ラナがいなければどうしようもないし、ラナとしても愛する祖父が重態なのだから心配で心配でたまらない。そのためにラナの心がだんだんラオのことで閉ざされていしまった。だからコナンの声が聞こえなくなってしまうのです。 結局、自分の気持ちに率直になりなさいとラオが方針を与えて、開放してあげようとしたことで、ようやくラナも自由になれる。本当は、人にいわれるのではなく、自分から翔ばせたかった。ラナが自分から翔ぶ気持ちになるようにしたかったのです。けれどもそうはできなかったというのは、ラオがそれほどラナをしばっていたからなんですね。 「巨人」という意味でこの名をつけましたが、ほかに考えたのでは、「ゴリアテ」などというのがありました。どちらも実際に存在した飛行機の名前ですが、形態や性能は関係ありません。子どもの頃フロ屋で見つけて読んでいた科学少年雑誌に、1930年頃の飛行機が出ていまして、そのイメージが残っているのです。 いまの子どもたちは、やたらに流線形なものより武骨な形のほうをかえって知らない。だからそれをやるのもおもしろいんじゃないかと思って、ああいう形にしました。スマートになってしまうと大きく感じられないし、翼の広いほうが威圧感がありますから。 本当の近未来戦争を描いたら、レーダーなどを使うため相手が見えない戦いになる。でも、それじゃあおもしろくないです。敵の姿が見えないのは抽象的で恐怖感もうすい。だからミサイルみたいなのは好きじゃない。やはり戦いは目で見ながらやらなければつまらないですね。乗って操る快感を感じるのは小さい乗り物、そして相手にするのは大きいほう、がいい。ゴゴーンと低空で飛ぶほうが、圧迫感を与えるでしょう。そんなふうに、とにかくギガントにはのしかかってくるような威圧感を与えたかったです。 戦争前からの村が海に沈まないでそのまま残ったのがハイハーバー。典型的な農村です。村には学校がないですが、本来農村の子どもは働くべきなんですね。読み書き、そろばんができればいいのであって、それ以外の戦争の歴史とか知識は老人たちが話して聞かせればいい。あの社会で必要なのは、やはり教育よりみんなの働いている姿です。 ことばというのは、キャラの心情にならないと出てこないものです。脚本の人と話し合うとき、細かいプロットを渡して、これこれこういうセリフをいわせたいと伝えておきながら、実際にできあがったものを絵にしていく段階でスッパリ落としてしまうことがよくありました。やっぱり『コナン』の話はこうじゃないんだぁ、と再確認したりして。自分でキャラと一緒になって見たり行動する。いいセリフというのはそういうところから生まれてくるのだと思います。 反対に、キャラが暴れ始めたらセリフはいらない。セリフで説明せずに済ませられるのが1番いいのです。『コナン』でも、ここでこういうセリフをいわせたい、というのはたくさんありました。ラオ博士なんか、しゃべらせたらいくらでも演説しますよ。けれどもあえていわせませんでした。 チャップリンのモダンタイムズなどがいい例。セリフがなくとも感情が伝わってくるでしょう。見ているうちに、次第にわかってくるというのが本当です。 インダストリアの沈むところです。あれはどうしても沈めなければならなかった存在ですから。それと26話。画面でロケット小屋を見たときは、本当にホッとしました。ストーリーがどうしたとかいうだけでなく、制作そのものがせっぱつまっていたので、もうここには帰ってこれないんじゃないかと思っていましたから。 | |
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