桜 新 世 紀
加賀美さんのうちに双子の兄弟が生まれたのは
桜の花の咲く頃だった
それまで子どものいなかった加賀美さん夫婦だったから
そのうれしさといったらなかった
ふたりの息子を それぞれの腕にそうっと抱いて
同じリズムで寝息を立てる そっくりな顔のふたつのいのちが
どうか ただ何事もなく育ってくれるようにと
夫婦は心から祈ったものだ
薄い爪のような 桜の花びらは
小さな庭を はらはらと舞い落ちるその途中
赤ん坊たちのまぶたの上に やさしい影をこさえた
双子の兄弟の一生は するすると幕をあけた
双子には よくあることらしい
お乳を欲しがってむずがるタイミングから
うんちの時間まで 申し合わせたようにふたりはおなじだった
にいさんが歩けた瞬間に 弟が歩き
弟が覚えた言葉を にいさんはすぐに使った
くるくると変わる表情
うれしいできごとのを話すとき選びとる ささやかな言葉の言い回し
怒りを投げ出すときの 手足のしぐさ
どれをとっても まるで誰かの下した決まりにしたがうように そっくりで
親たちでさえ ときどき名前を呼び間違えたほどであるが
加賀美さん夫婦にとって 育児のたのしさは 格別の二倍であった
また加えて 兄弟のその仲のいいことと言ったらなかった
どこに行くのも一緒に出かけ おなじ歩幅で歩き
色違いのパジャマを着て 6つの年まで手をつないで眠った
そんな姿に 礼拝堂の壁の額縁に描かれた
シンメトリーの天使を思い出さない者は いなかった
バイエルの進み具合 サッカー熱に 反抗期
すべては ひとしく二人に訪れ
片方の悲しみやをよろこびを もう片方は
自分のことのように悲しみよろこんだ
自分と相手の区別がつかないふたりに
感情は累乗で押し寄せる
とりとめのない思いに波乗りをするふたりは
いつでも一枚の板の上だった
けれどそれは 双子の不思議の
ほんのさわりでしかなかったのである
十六の誕生日のことだった
早々に反抗期を乗り越えた兄弟が
揃って大好きな両親に 花を買いに行った道すがら
商店街のはずれに ふたりを呼びとめる者がいる
見れば そこらでは見かけない辻占の易者だった
あんたたち ひどく仲よさそうなふうだがね
あんたたちは 光と影だね
けげんな顔の兄弟を見て それでも静かに易者は続ける
片方がしあわせなときは もう片方が苦しいよ
でも それもいい あんたらは ふたりでひとりなんだから
黙りこくって歩くふたりが 花屋に到着して
黄色いチューリップを十本 包んでもらうと
帰る頃には気分も晴れていた
帰り道に易者は もういなかったし
何より 花屋の娘のほほえみが圧巻だったからだ
お祝いの食卓では 易者の台詞は もう笑い話になっていたが
花屋の娘のことを ついでのように語るとき
まずはじめに にいさんの言葉がつっかえた
続いて 弟の声がうわずった
おもわず 兄弟は 目を見交わした
てきぱきと黄色いチューリップを包んでくれた娘の微笑みが
チューリップの黄色より鮮やかに見えたのは
自分だけではなかったと それぞれが気づいたときには手遅れだった
娘はこの世にひとりしかいない
にらみあったふたりの瞳に のろしが上がった
ふたりは辻占の易者の予言が もう始まってしまったのを知った
兄弟は互いに 口をきかなくなった
あきれるほど仲のよかった双子は
それぞれの部屋に閉じこもって
たったひとつの娘の心を勝ち取るための
はかりごとをめぐらせるようになった
てはじめは 贈り物だと にいさんが考える
やることなすこと そっくりな弟が
おんなじ思い付きをするだろうことぐらい 考えなくてもわかっている
そのぶん 弟の裏をかいてやるのは かんたんなこと
はたして 娘のもとに届いたのは
ふたつの真っ赤な薔薇の花束だった
にいさんは最初に考えた赤い薔薇を
きっと弟も贈るだろうと考えて
白い薔薇にしようと思った けれど
自分が裏をかくくらいだから
きっと弟もおなじことをするに違いないと
抜け目なくその裏を読んで
最初のとおりの赤い薔薇にしたつもりが
結果として 全然裏をかいたことにならなかったという
それが この双子の救われなさ
そればかりか 花屋の娘に花束を贈る間抜けに気づきもせずに
揃って枕を抱きしめて 乱れる脈拍をかみしめている
娘は真っ赤な薔薇の花束をひとつずつ
くすくす笑いながら両手に抱きしめた
いきおいづいたそれからは
娘の元に かわるがわるの手紙と電話
手を変え品を変えの求愛戦が 本格的にはじまった
しかし いくら手を変え品を変えてみても
ふたりの手の変え方 品の変え方に
どれほどのちがいが 期待できただろう
それぞれでとりつけた約束のデートは 文句のつけようもなく楽しかったが
それは娘がいつでもくすくす笑って 本当に楽しそうにしていたからで
そのわけは すでにもう誰もが想像のとおり
そのまま五年が過ぎて
兄弟の戦国時代にも やがて終わりのときがきた
終わり すなわちプロポーズの瞬間である
それぞれが 娘に言うべきことを言ったあと
口をきかなくなってから 丸五年
久しぶりに にらみ合いながらも面と向かったふたつの同じ顔を
娘はゆっくりと 交互に見て言った
あのね 区別がつかないの
愛しているのは本当なのに どちらがどちらかちっともわからない
つまりね 比べることができないの
言いながら 娘はくすくす笑う
二人分の愛に身をまかせ 娘は
国中におふれを出す 女王さながらのおごそかさに満ちて こう言った
試す勇気があるのなら
三人で 結婚いたしましょう
双子の兄弟が思わず顔を見合わせてしまったしぐさは
五年ぶりのシンメトリーのポーズ
五年の月日は 辛抱の月日
お互い以上に話せる友達を ついに持たなかったふたりには
本当は はちきれそうだったストレスの月日
ふたりが仰天したまま 絶句していた三十秒間は
五年分の鬱屈に耐えかねた兄弟が 実は心から
娘とまったくおんなじことを願っていたからに ほかならない
息子たちには何事もない平和な一生を という加賀美夫妻の親心が
桜の花びらと一緒に風に散った日は
誰にも理解されない 三人のしあわせのはじまりの日でもあった
3という数は 平面から立体に 夢から現実に
世界を立ち上げる数字
そういえば 聖書の中で楽園を計画したのも
神様とアダムとイブの三人だった
兄弟は あの日の易者の予言が
自分たちの勇気によってくつがえされたことを 誇りにしながら
最初はおっかなびっくり やがてはとても自然に
結婚生活を円満に営んだ
離れていた五年の月日は
五年前よりさらに兄弟の絆を深くしていたから
さみしかった分は 無駄ではなかった
ふたりして ひとり分という易者の言葉も
かくなるうえは なんとやさしげに響くことだろう
足りないものより
ここにあるもののこと それをよろこんで暮らしていると
しあわせは勝手にふくらんでいってくれる
誰もがおそれていた破綻という結末は
窓硝子の露と一緒に 空の彼方へ散って消えた
影をこしらえない光が あってもいい と兄弟は思った
光が光であるために
光の背後に 劇的な濃い影を連れてくる必要は もうないかもしれない
兄弟が幸せについて ぼんやり そんな風に思いはじめたころ
三人の家庭に 新しい家族が誕生した
どっちの子かは知るすべもなく もはやこうなれば問題ではない
あげくに娘が生んだのは
あろうことか つるつるの双子の姉妹だった
兄弟は 自分たちの妻の そのはかりしれなさを
いまさらながらに 思い知った気がした
同時に 自分たちのけんか越しの 切ない五年間を思い出した
我が子には ただ何事もない平和な一生を
兄弟は その親たちとのおなじ思いに さんざん頭を悩ませたあげく
自分たちのややこしい顛末を くり返させてはなるまいと
ふたりの娘をひとりずつで引き取り
泣く泣く家族をふたつに分けることにした
一人娘とその父親からなる ふたつの家庭
そこに くすくす笑いがくせの母親が
ひとつきごとに通う暮らしは
もはや 何がややこしいとも言いにくい
大事な娘たちには 円満で息災な人生の用意と
かあさんは女だてらに外国航路の船乗りをしているんだよ という
すっとんきょうな言い訳の 準備ができた
自分たちのいくばくかの寂しさにふたをして
これでよしとお互いの肩を叩く兄弟について
件の予言がやはり当たっていたのかどうか
もう誰にも わからない
くすくす笑いの母親は ばねのつよい小鹿のようなステップで
二つの家を行ったり来たりしながら
どんなときでも からだごと楽しそうだった
そのままで 二十年が過ぎた
二十年目の桜の季節が またやってきた
三人の新婚生活が営まれた 庭の桜の木の下には
青と緑の色違いのスカートの裾をひるがえす
瓜二つの顔の娘たちがいる
それぞれ おっかなびっくりの父親から
生い立ちの秘密が告げられて
しばらく絶句したあと
身体がくの字に折れるほど笑ったのが
娘たちには
もうずっと昔のことのような気がする
茜の夕焼けが染めた ふたりの肩の上
向かい合えば ちょうど鏡の位置に
一枚ずつの桜の花びらが 止まると
おたがいの顔を見た はじめての瞬間のことがよみがえった
びっくりして ばかばかしくて そして ものすごくうれしかった
ふたたび ふたりして
どちらからともなく にじみ出た
くすくす笑いが止められないでいると
垣根の向こうから ひとりの背の高い青年が庭に入ってきて
ふたりの頬にかわるがわるキスして
ただいま と言った
時々ねえさんが 妹にたずねる
おとうさんたちは しあわせだったと思う?
あたしも 今それを考えてたところ と 妹は 決まってそう答える
当時にしては 未来的だったわけよ と ねえさんが言って
もうSFだったはずよ と 妹が言う
3の数字は 夢物語から現実に世界を立ち上げる数字
庭先から腕を組んで
家の中に入っていく三人にふりかかる桜の花びらは
いつのまにか上った 二十一世紀の月の光に照らされながら
三つの背中に 二度とどんな影もこしらえなかった
|