プロダクションノート

堀越二郎と堀辰雄

実在の人物がモデルとなるのはスタジオジブリの長編作品では初めてのこと。後に神話と化した零戦を完成させた飛行機の設計技師・堀越二郎をベースに、同時代を生きた文学者・堀辰雄のエッセンスを取り込み、ズタズタになりながらも一日一日をとても大切に生きようとした人物を描き出す。これまでは3~4日に起こった出来事の話が多かった宮崎作品。しかし、今作は約30年にわたる二郎の半生を描いた壮大な物語であり、二郎の姿はまるで宮崎駿監督そのものを投影しているかのようにも思える。

「生きねば。」

宮崎作品のコピーといえば、「生」という字とともに、その時代その時代を生きる人に向けて強烈なメッセージを発信し続けてきた。
「風立ちぬ」のコピーは『生きねば。』
実は、このコピーは宮崎監督の代表作「風の谷のナウシカ」とも大きなつながりがある。「ナウシカ」には全7巻の漫画版原作(宮崎駿著)があるが、映画化されたのは原作の2巻の途中まで。しかし映画公開後も連載は続き、ナウシカが人類と自然とともに生きる道を求める姿が描かれる。そんな「風の谷のナウシカ」最終巻である第7巻の最後のコマにでてくる言葉、それが『生きねば……』である。
どんな苦境の中でも前に進み、生きることを選択したナウシカたち。そして、不景気、政治不信、大震災など、現代と酷似する1920~30年代の日本を生きる「風立ちぬ」の登場人物たち。『生きねば。』というキャッチコピーをみることで、たとえどんな時代でも力を尽くして生きることが必要という宮崎監督の思いが見えてくるようだ。

スタジオジブリの文字と天上大風

スタジオジブリ作品でお馴染みの鈴木敏夫プロデューサーによる手書きの文字。多くの作品でタイトルやコピーを書いてきたが、今作は本編の中にもその文字が登場する。劇中で飾られている書の中で、特に宮崎監督のお気に入りなのが良寛禅師の『天上大風』。映画の中に2か所出てくるこの書を鈴木が担当している。

『天上大風』に対する良寛本人による解釈は残っていないが“地上には風が吹いていないように思えても、天の上には大きな風(御仏の慈悲)が吹き、見守ってくれている”と解釈されていることが多い
「風立ちぬ」のタイトルは「崖の上のポニョ」に続き宮崎監督によるもの

伝道の書

堀田善衞の『空(くう)の空(くう)なればこそ』という書の中に、『凡て汝の手に堪ることは力をつくしてこれを為せ。』という一文がある。これは旧約聖書の伝道の書からの引用で、かつて講演で宮崎監督はこの言葉について「どんな仕事でも、たぶんその瞬間はやってよかったとか、意味があったという瞬間をもっている。それを見つけなければいけないという意味ではないか」と語っている。
今作の中で、二郎は夢の中で出会う航空機設計技師の大先輩カプローニから何度か呼びかけられる。「力を尽くしているかね」と。 宮崎監督が尊敬する堀田善衞の生前最後のエッセイ集に書かれていたこのメッセージ。二郎にとっての人生の師でもあるカプローニからの問いかけは、まるで宮崎監督から現代のすべての日本人に対して問いかけられているようにも思える。

飛行機 浮遊感

「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「魔女の宅急便」「紅の豚」……宮崎作品の映像的醍醐味の一つに主人公たちが空を舞う、圧倒的な浮遊感があるといえる。「風の谷のナウシカ」から約30年。観る者は、主人公たちとともに空の旅を楽しんできた。
「風立ちぬ」には、“飛行石”も“魔法”も出てこない。しかし、今作でも過去作品同様、空のシーンが多く描かれているという。空、飛行機、恋、たばこ…。宮崎監督が大好きなものがたくさん詰まった作品がここに完成した。

宮崎駿とスティーブン・アルパート

2011年の暮れまで、スタジオジブリでスティーブン・アルパートさんという方が働いていた。海外事業部に所属し、宮崎監督が海外に行く際には必ずアテンドし、いつしか仕事を超えた友人になっていた。家庭の事情でアメリカに帰国するアルパートさんに似顔絵をプレゼントしようと、宮崎監督は何度も挑戦するが、帰国当日までに満足のいく似顔絵を描くことができないままアルパートさんの帰国の日となった。そして次の年。「風立ちぬ」の絵コンテの中にアルパートさんが描かれていた。
描けなかった似顔絵を絵コンテに登場させた宮崎監督。そしてそのキャラクターに声を吹き込むためだけにアメリカから来日したアルパートさん。2人の友情が作り上げたキャラクターは二郎と菜穂子を結ぶキューピット役を担い、そして世情を表現する重要な役となって完成した。

ひこうき雲

2012年12月、鈴木敏夫プロデューサーと松任谷由実によるトークイベントが行われた。そのトークイベントの中で鈴木は、松任谷に「いま作っている作品の世界が『ひこうき雲』にぴったりで、使ったらどうだろうか、と(宮崎監督と)話をしている」と突然公開オファーをして周囲を驚かせた。実はこのときは「風立ちぬ」の制作発表もされていない時期で、スタッフはもちろん、当の松任谷も聞かされていなかったサプライズなオファーであった。そのオファーに対し松任谷も「鳥肌がたちました。このために40年やってきたのかな…」と快諾し、ジブリとユーミンの24年振りのタッグが組まれることとなった。デビューアルバム(荒井由実名義)の中に入っている「ひこうき雲」は松任谷にとっても思い出深い曲。宮崎監督も「映画のイメージにぴったり」と太鼓判を押す。「ひこうき雲」の爽やかな旋律は、映画の余韻をさらに素晴らしいものにしてくれるだろう。

こだわりの音

今作でSEと呼ばれる効果音を人の声で表現することに挑戦している。 映画制作初期段階から効果音を人の声で作ることにこだわりをみせた宮崎監督。 飛行機のプロペラ音や蒸気機関車の蒸気。車のエンジンの音や関東大震災の地響きの音。さまざまな音が人の声で表現されている。2006年にジブリ美術館で上映開始された短編アニメーション「やどさがし」(原作・脚本・監督:宮崎駿)でも人間の声の効果音を試みているが、スタジオジブリの長編映画ではこれが初めての試みとなる。 あらゆる陸海空の乗り物が登場する今作、人の声から生まれた乗り物や風景の効果音にも注目していただきたい。 ちなみに宮崎監督はあるシーンに関して、自らの声でSEをやりたかったようで、オーディションに参加したのだが、スタッフからの反対に遭い断念したらしい。