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2006年2月24日
第四十一回 作品だけが父を知る手段だった
それ以前のことは私にはわかりませんが、
物心ついてからずっと、父は不在がちでした。
そうは言っても、やっぱり、
母のことが大好きなのと同じように、
私は父のことが大好きで、
小さいうちはかまってもらいたいし、
一緒に遊んでほしいと思っていました。
でも、その機会はほとんどありませんでした。
中学生になり、高校生になって、
「自分の父親について知りたい」「父は何を考えているのだろう」と
父親を意識し始めたときも、彼は身近にいませんでした。
ごくたまに顔を合わせることがあっても、
普段話していないからお互い何を話せばいいかわからない、
そんな関係でした。
しゃべることはおろか、会うこともままならない父親。
私にとって、そんな父を知る手段はただひとつ。
それは、父の作った作品を観ることです。
そこに表現されているものを通して、
父がどんな人間で、何を考えて生きているのかを、
なんとか見いだそうとしてきました。
私も中高生の頃は、
「うる星やつら」「機動戦士ガンダム」「超時空要塞マクロス」
といったアニメを見ていましたし、好きでした。
しかし、そういった作品と自分の父のつくった作品とでは、
見方がおのずと違っていました。
そして、父の作品がすばらしいと思えば思うほど、
それを通して父のことがもっと知りたくなり、
彼の作品へと向かっていったのです。
こうして私は、物心ついたときからずっと、
楽しむと同時に、父を理解するために宮崎駿の作品を見てきました。
私にとって、宮崎駿は、
父としては0点でも、アニメーション映画監督としては満点なのです。