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週一回更新コラム「ゲド戦記の作り方」
2006年4月 5日
番外編 「韓国・アニメーションスタジオ訪問記」 ─前編─
春雨降る、韓国・ソウル金浦空港。
他の、多くのアジアの都市がそうであるように、空港から市内へ続く道では、モダンなビルや、高層マンションが背比べをしているが、路地裏に目をこらすと、屋台や、生肉のぶら下がった店が軒を連ねている。
アジアは健在だ。
空港から、自動車で40分あまり。ソウル中心部の南西。市を東西に横切る、漢江という河を越えたところに、かつて工業地帯だった土地を、ITベンチャー企業向けに再開発した九老(グロ)という地区がある。デジタルの名を冠したオフィスビルが建ち並び、ファーストフード店とコンビニエンスストアが、ビルの裾で蛍光色を放っている。東京の街に例えると、目黒・五反田あたりのオフィス街といったところだろうか。
その一角。
「DIGITAL VALLEY」と銘打たれた十数階建てオフィスビルの9階に、韓国を代表するアニメーションスタジオ「DR MOVIE(ディーアール・ムービー)がある。DRとは韓国語で、「燃え上がる炎」という意味なのだそうだ。
先般、僕は「ゲド戦記」の動画検査スタッフ(完成した線画=動画の内容をとりまとめるメインスタッフ)と共に、DR MOVIE(以下DR)を訪れた。「ゲド戦記」では既に、DRに動画の仕事をお願いしているが、後半の更なる追い込みに備え、作画上の取り決めや、細かな線のニュアンス等を伝える為、打ち合わせの場を設けたのだった。
今日から三回に分け、コラム「ゲド戦記の作り方」の番外編として、韓国のアニメーション業界の現状と、ジブリの動画検査スタッフが、DRのスタッフと行った、作画打ち合わせの様子をレポートする。鈴木プロデューサーや、ジブリのスタッフへのレポートもかねて記すので、順不同、少々専門的な内容が含まれるが、ご容赦願いたい。
●韓国のアニメーションスタジオの様子
僕らを出迎えてくれたのは、DRの創設者であり、CEO(最高経営責任者)のジョン社長と、制作部のギムさんという女性スタッフ。
ギムさんは先日、深夜日本で放映されていた某テレビアニメーションの最終話を納品し、ひとつの仕事に句読点を打ったところ。丸一週間、自宅へ戻らない日々が続いて、ようやく回復してきたところなんです──と豪快に笑った。
海を隔てた日韓のアニメーションスタジオに、大きな差異は感じられない。DRが居を構える建物は、所謂オフィスビルだが、一歩部屋に足を踏み入れると、キャラクター設定や美術設定等が無数に貼られたパーティションが迷路のごとく入り組み、その向こう側には、作画机(作画の為に特別に作られた木製の机)がひしめいている。
エレベーターを降りて左に折れると、IT企業然とした受付があり、DRのコーポレートロゴが、来訪者を出迎える。
『DRの受付。「千と千尋」のセルとポスターが貼られています』
受付を挟んで左右に廊下があり、ふたつの部屋に分かれた制作部と、CEO・プロダクションディレクター・ビジネスマネージャーのオフィスに面して大きな会議室。この会議室は、オンラインで日本とつながっていて、ちょうど、日本の某大手アニメーションスタジオのスタッフとの、映像を介した打ち合わせが行われているところだった。
制作部には、各種作品の資料が積まれ、壁に備え付けの棚には、業務用のビデオテープがズラリと並ぶ。作品名は、いずれも、現在日本で放映されているテレビアニメーション作品ばかり。その中に、合作と呼ばれる、欧米のアニメーション作品のタイトルがチラホラ。以前の日誌で紹介した通り、日本で放映されているテレビアニメーションの多くは、韓国のアニメーションスタジオの力を得て作られている。
制作部のスタッフは、僕が確認しただけで5~6名。徹夜明けらしい進行スタッフが机に突っ伏し、静かな寝息を立てていた。「スケジュール管理には、何のソフトウェアを使っているの? と問うと「エクセルだけど、現在、独自のソフトウェアを開発中です──」とのことであった。複数の作品が並行して動いている為、各々の進行状況を、社長以下、制作部のスタッフが一覧できるシステムが必要になってきたのだと言う。
『制作部の様子』
受付を出てエレベーターホールへ戻り、俯瞰して時計回りに歩いてゆくと、動画・原画の部屋が続く。動画部屋のスタッフは、25名弱。男性4名をのぞいては、20代の女性ばかり。そこここに、アニメーター特有の、引っ込みがちだがキラリと光る、好奇心一杯の上目づかいがある。同行したジブリの動画検査スタッフが挨拶をして回ると、またたく間に人だかりが出来て、握手の洗礼を受けていた。
『動画部屋』
あるスタッフが、僕の顔を見て、韓国のだれそれという野球選手に似ている、と叫ぶ。「日本ではイチローに似ていると言われるよ」と答えると、とたんに目つきが変わった。先般のWBCでのイチローの挑発的な発言に、はたと思い至る。
皆一様にお洒落で、スキンシップに抵抗がない。抱きついたり、誰かの肩にアゴを載せて話しかけてみたり──まるで、高校の教室にタイムスリップしたかのようだ。机には、日本の漫画やアニメーションキャラクターの切り抜きが貼られていて、ひとりひとりが、独自の空間を作っている。
興味深いのは、作画机の構造の違い。作画机は、下に描いた絵が透けてみえるよう、ガラスの板がはめ込まれているのだが、日本の長方形に対して、韓国のそれは丸い。絵をまわしながら描けるように工夫されているのだ──との事だった。
原画部屋は、作品ごとのチームに分かれていて、メインスタッフを中心に、原画スタッフの机が囲んでいる。打ち合わせや資料を並べる為の共有テーブルには、カット袋や資料が山と積まれていた。
『原画部屋』
現在進行中の、原動仕(原画・動画・仕上の一連を請け負う事。動画・仕上の場合は動仕と言う)作品は4本。日本のテレビアニメーション2本が、月に4本ずつで8チーム。アメリカの作品が2本で、月2本と1本。常時10チーム前後が動いている計算になる。原画は、1チーム5~6人編成だが、原画スタッフは総勢40名程との事なので、各チームが互いの仕事をやりくりしながら進めているのかもしれない。
次に、コンピューター処理を中心とするデジタル部屋が2部屋。仕上・CG・撮影・編集作業が行われている。
『撮影部の様子』
使っているソフトウェアも、日本とほぼ同じ。仕上には「レタス」、CGには「3Dスタジオマックス」、撮影には「アドビ・アフター・エフェクツ」、編集には「ファイナルカット・プロ」。ジブリで使っているソフトとは一部違うのだが、いずれも日本のアニメーションスタジオで使われている、よく知られたソフトウェアである。マシンはほぼ、韓国製のウィンドウズマシンで、アップル製品独自のソフトウェアが必要な場合のみ、マックが使われている。撮影監督の指示の下、米国作品のコンポジット(合成)作業が行われていた。
廊下の一番奥は、背景美術の部屋。
「ゲド戦記」では、朴さんというベテラン美術監督の方に、一部の背景をお願いした。デジタル機器の設置中であわただしい様子だったが、常時4チームが動き、デジタルチーム(筆を使わず、一からパソコン上で描くスタッフ)が1チーム。使っている画材や筆などは、日本から輸入して使っているという。
朴さんらは、テレビアニメーションに加え、日本の劇場作品も手がけており、この部屋の電気が消えるのは、1年のうち、旧正月の1日だけなのだそうだ。最近はデジタル背景の仕事が急激に増えているようで、ジョンさんに見せて貰った、制作中の米国の作品は、全てデジタル上で描かれた背景であった。
『背景美術部』
●韓国のアニメーションスタジオ事情
DRが拠点を置く九老地区には、約3000のIT・工業系ベンチャー企業がひしめいている。そのうち、アニメーションスタジオは、大小合わせて20社ほど。11年前、ジョン社長が九老に移ってきた時にはDRの一社だけだったが、3~4年ほど前から急に増え始め、今も増殖中とのことだった。
日本と同様、韓国でも、国が産業としてアニメーションを持ち上げているが、未だ、韓国のアニメーションスタジオで作られる作品の多くは、日本や欧米の作品のOEM(他社のブランドの製品を製造すること)が中心である。
韓国では、TV放映時間の1%枠で、国内のアニメーション作品を放映しなければならないという法律があり、国産のアニメーションにも力を入れているが、活況を呈している実写ドラマ・映画と比較して、まだオリジナルアニメーションの制作本数は少ない。その要因については、次々回に更新予定の、ジョン社長への取材に譲るが、多くのアニメーションスタジオが、日本か欧米の、テレビアニメーションの仕事を請け負っている。
韓国全体で約100社ほどのスタジオがあると言われ、協会に入っていない小さなスタジオも含めると、その数は更に増えるという。はっきりした比率は解らないが、日本が6に対し、欧米が4ぐらいなのではないか、とジョンさんは言う。
現在日本では、地上波だけで、週に80タイトル以上のアニメーションが放映されている。DRだけで、常時3タイトルが動いているとして、同じく、作品タイトル単位(個別の下請けではない)で動かしている大手スタジオが20あるとすれば、単純計算で60タイトル。大きなスタジオでは、DRよりも多くの本数を回していると言うから、常に60タイトル以上、日本のテレビアニメーションが動いている、という計算になるだろうか。
我々が普段、何気なく観ているアニメーション作品の多くが、韓国のスタジオの力を得て作られていることを、お解り頂けると思う。
次回は、ジブリの動画検査スタッフが、DRの動画スタッフに向けて行った、ジブリの動画に関する取り決めや、具体的な作画テクニックに関する講義の様子をお伝えする。