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週一回更新コラム「ゲド戦記の作り方」
2006年1月10日
今何を、誰に向かって作るのか ─テーマ(1)─
今回は、映画を通して、お客さんに何を伝えたいのか──テーマについて、書いてみたいと思います。
昨日、新聞に取り上げられていた中国のテレビドラマの監督が、残虐な行為への加担に苦悩する軍人を主人公にした自身の作品に関して、こう発言していました。
「心やさしい人々が、なぜ残酷な行為にかかわったのか。戦争という特別な状況が人間性を脅かす過程を掘り下げたかった」
これは、作り手が、作品を通して訴えたいこと=テーマを、明快に持っているからこそ、発せられた言葉だと思います。
テーマの明快な映画は、「そう、そうなんだよなァ!」と、膝を打ちますが、テーマのぼやけた映画は、「結局、何が言いたかったんだろう?」と首を傾げてしまいます。
テーマとは、どのように導き出されるものなのでしょうか。
それは「今何を」「誰に向かって」作るのか、という問いかけから、生まれてくるものだと思います。
スタジオジブリには、これまで作られた作品の企画書が保管されています。それらの冒頭には必ず、ふたつの項目が記されています。ひとつは、「企画意図」。もうひとつは、「観客対象」。
前者には、今、何故この映画を作るのか──企画当時の時代背景や、監督の訴えたいメッセージが書かれています。後者は文字通り、具体的に、どの世代に見せたいのか。
今何を、誰に向かって作るのかということが、企画段階で明言されているのです。
『鈴木プロデューサーの部屋にある作品ファイル。下段には、玩具の置物がいっぱい』
作品のテーマを、作り手が、企画段階から映画の完成までつらぬく事。それが、映画を通してお客さんに何かを伝えるという行為の、最も本質的な営みと言えます。
僕らは、企画の初期段階に、鈴木プロデューサーにこう言われました。
自分たちが、日常的に何を考えているのか。それが、作るときの動機になる。自分と、自分たちとをとりまく環境が抱えている問題──それに対する考えを、映画の中に込めなければならない。漠然とした言葉を、漫然と語るだけでは、気持ちはお客さんには伝わらない。自分たちの問題を、身近な人々に向けて作る事が、結果的に、多くの人々に訴える事につながる──と。
監督日誌の前口上において、宮崎吾朗監督は、映画「ゲド戦記」のテーマを、こう記しています。
企画を立ち上げてから現在に至るまで、世界中で、様々な災害や事件が起こりました。監督は、そんなニュースを目の当たりにする度に、僕らにこう問いかけました。
「この不安な時代に、自分たちは一体、何を大事にして生きてゆくべきだろうか」
やがて、監督の目は、当時彼が館長職にあった、ジブリ美術館での日々に向けられてゆきます。美術館で働く若者たちと接し、彼らをとりまく様々な環境と、自らの若い頃の経験とを重ね合わせたのです。
この不安な時代に、正気を保って生きるにはどうすればよいのか。映画を作りながら、それを、みんなと共に考えたい。このひと言が、「ゲド戦記」のテーマが固まり始めた第一歩だったと、僕は記憶しています。
監督は、この少年を通して、今、まっとうな生き方とは何だろうという事を、映画を作りながら考え、作品に込めたいと考えているのです。
次回は、テーマを導き出すために何が必要か──「現代と呼吸する」と題して、書いてみたいと思います。