ページ内容
週一回更新コラム「ゲド戦記の作り方」
2005年12月13日
何でも逆説的に考えよ ─企画とは何か(1)─
映画「ゲド戦記」は、宮崎吾朗監督を中心に、これまでジブリを支えてきたベテランスタッフと、若手スタッフが一丸となって作っています。
僕らが、映画を作りながら実感していること。それは、映画作りとは、理屈では説明し得ない、ある種神懸かり的な行為ではなく、ある考えと、段取りと、スタッフが揃えば、次の世代に引き継がれてゆけるものだ、という事です。
現代を見据え、何を訴えたいのかというテーマを設定し、それを伝える為に最適な世界観・キャラクター・ストーリーを練り上げてゆく。今まさにジブリでは、映画の作り方が受け継がれようとしています。その過程を、原則として週に1回、コラム形式で皆さんにご紹介してゆく。それが、「ゲド戦記の作り方」です。
「何でも逆説的に考えよ」 ─企画とは何か(1)─
これ、名コピーライターとしても知られた、芥川賞作家、故・開高健氏の言葉です。第1回は、この言葉に、映画企画のヒントがあるというお話をしたいと思います。
皆さん、映画の企画って、そもそもどうやって生まれると思いますか?
昨今、「純愛ブーム」という言葉がちまたに溢れ、「純愛映画だったら、お客さんが来る!」なんて記事をよく目にします。でも、お客さんを馬鹿にしちゃいけない。純愛映画をうたっていたら、何だって観る! って皆さん、思わないですよね。ポスターやチラシ、予告編やテレビスポット(映画のテレビCMの事です)等、色んな情報の中から、「面白そうだな、これだったら、1800円払っても観る価値があるな」と思った映画に、貴重な休日のひとときを割く。これが普通の感覚だと思います。
この時、僕らが「面白そうだな」と思う感覚の奥底にあるものを読み取って、映画を通してお客さんに伝えたいテーマの骨子に据える。それが、企画を立てるという事です。「純愛映画」というのは、映画の種類をさす言葉で、企画の本質ではないと、僕は考えます。少なくともジブリでは、この最低条件が満たされていないものを、企画とは呼びません。
「何これ。何をやりたいんだか全然わからないよ。大体、今のお客さんの気分と、何も関係ないじゃない!」
鈴木プロデューサーの恫喝が聞こえてくるようです(笑)
『「ゲド戦記」の企画書。これを初めて鈴木プロデューサーに見せた時は、ドキドキしました』
では、お客さんが「面白そうだな」と考える企画は、どうやって生まれるのか。残念ながら、答えはありません。人の心は移ろいやすく、冷めやすい。時代によって、僕たちの価値観は、変化してゆくのですから。
ひとつ言えることは、今、世の中で大きな流れになっているものに、疑問符を投げかけてみることから、企画探しが始まる、ということ。 ジブリの高畑監督や宮崎監督、鈴木プロデューサーの、世の中に対する見方には、ひとつの特徴があります。それは、世間で流行っているものに対して、常に眉唾をつけてみる、という点です。
例えば今、投資ファンドが大きな会社を買収して利益をあげたり、若い人が株で大もうけしたりしている、というニュースが日々報道されています。まるで、ちょっとしたテクニックを身につければ、誰でも億万長者になれるかのよう。コンビニの雑誌コーナーには、若者に投資を薦める本がズラリと並んでいます。でも、ジブリの三人は、この流れに否定的です。世の中が、ワーッとひとつの方向に流れている時には、ロクな事がない。必ず、どこかでその流れに取り残される人たちがいる。映画とは、そんな、日々を苦しくとも一生懸命働いている、僕ら庶民の為のものだと考えているからです。
ここに、企画の秘密があります。世の中が、ひとつの方向に流れていく時には、必ずその流れに取り残される人、あらがう人たちが現れます。次の流れは、そういった人たちの中から生まれてくる。それが、時代の理です。時代の先を見通すには、今流行っている事と逆の事を考えれば良いのです。
目標を見失ったこの過酷な時代。「勝ち組」なんて言葉がもてはやされ、真面目に働いている人は、まるで「負け組」と言わんばかりの世の中です。
でも、こんな時代、僕らが本当に求めるべきなのは、目先の幸せやお金ではなく、もっと地に根ざした、「故きを温ねて新しきを知る」価値観なのではないか。これが今回、『ゲド戦記』で宮崎吾朗監督が打ち立てたテーマです。それは、僕ら庶民の目から世の中を見渡したときに見えてくるもの。僕たちは、この映画を、そんな想いで作っています。
人間はくびきを選び
竜は翼を選んだ
人間は所有することを選び
竜は所有しないことを選んだ
「ゲド戦記外伝(岩波書店刊)」より
第2回は、「企画とは、新鮮さである」というお話をしたいと思います。