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「ゲド戦記」制作日誌

2006年4月12日

アナログとデジタルの均衡

 
 今日から、「ゲド戦記」R3-4のカッティングが始まりました。

 昨日は、カッティングに1カットでも多くの完成映像を間に合わせるための臨時ラッシュ上映が行われ、「ゲド戦記」の完成映像は、810カット(全体の65%)となりました。

 ゴロウ監督は昼過ぎから、編集室にこもっています。
 
 
20060412_monitor.jpg
『今は試写室で、仮編集した映像を通して観ています』
 
 
 さて。


 この間の日誌で、ジブリでは、デジタルの力を借りながら、手描きというアナログ作業にこだわって、映画を作っている事をお伝えしてきました。


 少し前の記事になりますが、4月3日(月)の朝日新聞上で、写真家・作家の藤原新也氏が、「デジタル化する人間の”眼”」と題して、デジタル化が進む映像の世界をどう生きるか、興味深いことを書かれていました。

 昨今、写真の世界でもデジタル化が進み、老舗のカメラメーカーが、フィルムカメラ事業から事実上の撤退を発表するなど、アナログ時代がひとつの終焉を迎え、デジタル時代が到来しています。

 しかし氏は、随分前から「人間の眼」そのものが、デジタル化していたのではないか──と、問いかけています。

 曰く、現代人にとっての「第2の視覚環境」であるテレビ、「第3の視覚環境」となりつつあるテレビゲームやパソコンの画面は、互いにその、「見た目の性能」を競い合うあまり、彩度(映像の鮮やかさ)とコントラスト(白から黒までの階調表現の幅)比を高める方向にある。
 そういう環境に慣れ親しんだ現代人の目こそ、ハードウェアよりも先に、デジタル化していたのではないか──。


 その証拠に、アナログの象徴である銀塩フィルムも、この30年の間にダイナミックレンジ(明るいところから暗いところまでを、いかに広く表現できるか)が狭まり、階調表現の幅が狭くなっているそうです。
 階調の幅が広いということは、見た目には「地味」に見える、ということ。一方、幅が狭くなるという事は、見た目が派手に見えるということになります。

 ユーザーの目自体が、30年の間にデジタル化し、見た目に派手な指向へと向かっているのではないか、という内容でした。


 映像業界に身を置く僕にも、思い至る事が多々あります。


 スタジオで、テレビ向けの映像を編集している時。

 完成した映像は、「マスターモニター(通称マスモニ)」という、業務用の、階調表現の幅が広いモニターでチェックするのですが、その後「民生用」と呼ばれる、僕らが家庭で使う、市販のテレビでチェックします。

 家庭用のテレビは、彩度とコントラスト比が高く、一見派手で綺麗に見える一方、微妙な階調や色の変化が飛んでしまう事がある。しかも、各家庭によってテレビの機種も、それを観る環境も違います。
 スタッフが作った映像を、オリジナルと同じ状態で皆さんにお見せしたいのですが、それはとても難しいことなのです。(以前のテレビなら可能であった、という訳ではありません)

 一方で自宅へ帰れば、映像が派手に見える「ダイナミックモード」でテレビを観ている自分がいる。
 ナルホド、自分の目も、いつの間にか「デジタル化」しているのかもいれないなァ、とヒザを打ったのでした。


 現場でも、ひとつの問題が起こっています。


 各スタッフは、各々の作業環境が一緒になるように調整されたCRT(ブラウン管)モニターで作業をしていますが、この製品はもう製造されておらず、このモニターが壊れてしまったら、液晶など、別のモニターに切り替えなければなりません。液晶モニターは、見た目はとても綺麗ですが、階調表現に関しては、まだまだCRTに及ばないのが現状です。

 先日、某アニメーションスタジオの色指定スタッフと話したのですが、多くの現場ではもう、液晶モニターが主流になっており、以前のように、深い階調表現の差が判らなくなってしまった、と仰っていました。


 デジタル化が進めば進むほど、得るものと失うものは増えてゆきます。


 でも決して、アナログを肯定し、デジタルを否定する訳ではありません。
 もしくは、その逆でもいけない。

 随分前から、線画を転写するセルも、キャラクターに色を塗る絵の具も生産されなくなってしまいました。今更昔を懐かしんで、回顧主義に浸るわけにはいきません。デジタル化によって、アニメーション制作現場にもたらされる恩恵もまた、とても大きい。


 このような変化の激しい時代に、ジブリのスタッフが考えている事。


 それは、手で描いたものを大事にし、それをデジタルの力を使って、どれだけ忠実に、フィルムへと定着させる事が出来るか──。


 以前、色彩設計の保田さんが、こう仰っていました。


 「描いたものを後で(コンピュータで)変えるよりも、描く時に変えるべき」


 「ゲド戦記」のテーマである「世界の均衡(バランス)」は、アニメーションの現場においても、求められています。