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「ゲド戦記」制作日誌
2005年12月14日
これまでの「ゲド戦記」
早速、二日目の更新です。
今日も現場では、スタッフが黙々と机に向かっています。
『ジブリ2階の作画部。先月席替えを行い、広々とした空間になりました』
今僕たちが作っている「ゲド戦記」は、約三ヶ月前──9月6日(火)から、作画作業がスタートしました。この日を、アニメーションの世界では、「作画イン」と呼びます。具体的な作業内容は、後ほど「ゲド戦記の作り方」の連載で紹介しますが、簡単に言うと、スタジオのスタッフが実際に、紙に画を描き始めた日の事を指します。
アニメーション映画の制作は、大きく三つの段階に分けられます。
プリプロダクション 企画・脚本・絵コンテ・キャラクターを作る準備期間
プロダクション 作画インから、実際に映像が完成するまでの期間
ポストプロダクション できあがった映像を編集し、音楽と効果音をつけて完成させるまでの期間
今は、プロダクション作業の真っ最中、という事になりますね。
今日は、「ゲド戦記」の企画準備期間──プリプロダクションが、どのように行われてきたかを、振り返ってみたいと思います。
そもそも、「ゲド戦記」の企画が浮上したのは、2003年の10月初頭。「ハウルの動く城」制作中の事でした。鈴木プロデューサーより、「ゲド戦記」映画化の可能性が出てきた。スタッフを集め、企画の準備をするように、という指示があり、当時、ジブリ美術館の館長職にあった宮崎吾朗と一緒に、原作の分析、スタッフ集めを始めたのです。
その間、鈴木プロデューサー、宮崎吾朗、様々なスタッフたちが、原作に関する膨大な議論、企画検討を重ね、「ハウルの動く城」の公開を挟み、具体的なプリプロダクション作業が始まったのは、今年に入ってからの事でした。実に1年以上、企画準備期間に費やした事になります。
そして本年2月、館長職を辞し、監督をつとめる事になった宮崎吾朗を中心に、当時、ジブリ美術館の短編作品を作っていたスタッフの中から、現在のメインスタッフが企画準備室に集まり、イメージボードを描く作業が始まりました。
イメージボードとは、まだ見ぬ映画の中に、どのような世界を作り、どのようなキャラクターを息づかせるかを、メインスタッフが頭をつきあわせて、紙に描きだしたものです。
『企画準備段階の準備室の様子。最終的には、右の壁一面に貼りきれないくらいのイメージボードが描かれました』
イメージボードを固める作業と並行して、物語を作る作業が始まります。
企画準備室が開設してから約半年間、本格的なプリプロダクション作業が進められました。怒濤のように作品の内容が決め込まれていった事が改めて思い出されます。
2月7日(月) ジブリ第1スタジオ3階に準備室開設・作業開始
4月21日(木) シノプシス(あらすじ)案完成
5月9日(月) シノプシス完成
5月16日(月) シナリオ第1稿イン 監督ラフコンテIN
6月6日(月) シナリオ第1稿完成 監督・決定稿(本番コンテ)作業
6月21日(木) 絵コンテ前半(Aパート)完成
7月7日(木) 絵コンテ中盤(Bパート)完成
8月25日(木) 絵コンテ(Cパート)完成
9月6日(火) 作画イン
『ゲド戦記の絵コンテ。ABCパートに分けられて、三冊あります』
並行して、作画監督が、映画に登場するキャラクターの設定を。美術監督が、映画の背景・世界観を決定する美術ボード作業を続けました。
この間に僕らが最も話し合ったのは、現代において「ゲド戦記」という偉大な原作をどう、映画化するか、ということ。
身近な話題から、社会情勢に至るまで。プリプロダクション段階にどれだけスタッフと議論を深められるかが、企画段階の大きなテーマです。何しろ、監督が映画の中で描こうとしている事を、実際に画を描くスタッフが理解していなければ、できあがった映画は、てんでバラバラなものになってしまいます。
映画の世界が「どういう世界なのか」を、明確にすること。生活・風俗・習慣・思想・何が善で、何が悪なのか。この世界での魔法はどうなっているのか。登場するキャラクターは、どのような境遇を経て、今どういう考えを持っているのか。映画作りとは、とかく技術的な側面がクローズアップされますが、その前に、スタッフの中でどれだけコミュニケーションが図れるかが、最も大切なことなのです。
このような準備段階を経て、僕たちは今、映画完成を目指してプロダクション作業を進めています。
あ……プリプロダクション時に、ひとつだけ果たせなかった事があります。
それは、ロケハン(映画の舞台のモデルになりそうな場所を取材すること)に行けなかったこと! 本当は、ヨーロッパを2週間くらい旅してくる筈だったのに……。
映画が完成したら、休みをとって絶対に行ってやる!
それを励みに、あと半年間、頑張ります(笑)