イベント情報
STUDIO GHIBLI EVENTS
STUDIO GHIBLI EVENTS
ネコバスに乗って、いざ。
2022年11月、愛知県の「愛・地球博記念公園」内に開園した「ジブリパーク」。新たに「もののけの里」「魔女の谷」が加わり5つのエリアが公園内を点在し賑わせています。
そのジブリパークの制作現場を指揮する宮崎吾朗監督は、「三鷹の森ジブリ美術館」や「サツキとメイの家」をてがけ、映画『ゲド戦記』『コクリコ坂から』『アーヤと魔女』などのアニメーション作品を生み出してきました。
吾朗監督の仕事とジブリパーク誕生の舞台裏を数々の制作資料とともに紹介します。
いっしょにみよう。
日本テレビ系の映画番組「金曜ロードショー」のヒストリーを辿りながら、スタジオジブリ作品の魅力を紹介する展覧会を開催します。
1985年に始まった「金曜ロードショー」は、翌86年に「風の谷のナウシカ」(84年、宮﨑駿監督)を初放映*して以来、これまで200回以上にわたってスタジオジブリ作品を放映してきました。その歴史はスタジオジブリが人気を確立し、作品の評価を不動のものとしていく足跡と共にあり、現在も続いています。
本展では、放送された時代ごとの記憶と記録を通じて映画の魅力に迫るほか、昭和から平成、令和に至る世相を掘り起こすことで、スタジオジブリ作品が持つ時代性と普遍性を浮かび上がらせます。
また 「風の谷のナウシカ」に登場する"腐海"を表現した空間「風の谷のナウシカ 王蟲の世界」、映画の世界に飛び込めるようなフォトスポットも登場し、スタジオジブリ作品の世界観を楽しめます。
圧倒的なデータベースでタイムスリップする体感型の展覧会をどうぞお見逃しなく!
元気になれそう
本展覧会は1978年の創刊当時から80年代の雑誌「アニメージュ」(徳間書店)に焦点を当てました。まだアニメという言葉さえ広がっていない時代から、1979年に登場した「機動戦士ガンダム」の大ヒットによりアニメが大きく飛躍するブーム期。そして、鈴木敏夫が後のジブリにつながる高畑勲・宮﨑駿両監督を見出し、「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」の映画製作に傾倒するまでの道のりを紹介します。
また、会えたね!
本展覧会は、土日祝および8月13日(火)~16日(金)、26日(月)~30日(金)は日時指定予約制です。
詳細は公式サイトをご確認ください。
《書籍で紐解く鈴木敏夫》
高畑勲・宮﨑駿両監督と共に、世界を代表する数々のアニメーション映画を世に送り出してきたスタジオジブリ・プロデューサーの鈴木敏夫。
展示では、戦後の名古屋で育ち、昭和から平成、令和の時代を駆け続けている鈴木が「読んできた本」と「その時代背景」に注目します。
子供時代から読んできた漫画や小説、青春時代を経て、社会に出てから今もなお旺盛な好奇心で読み続けている歴史本やノンフィクション、評論本などを通し、鈴木がその作品や作家からどんな影響を受け、自身の思考術へとつなげていったのか、そしてどのように作り手と向き合い、編集者、プロデューサーとしてスタジオジブリ映画を確立していったのか。
この答えを鈴木敏夫の血肉となった8800冊の書籍や映画作品を通じて探ります。
―日本のアニメーションに遺したもの
東京展で大好評を博した、高畑 勲監督の展覧会です。
高畑は、初の長編演出(監督)となった「太陽の王子 ホルスの大冒険」(1968年)で、悪魔と闘う人々の団結という困難な主題に挑戦し、その後つぎつぎとアニメーションにおける新しい表現を開拓していきました。
70年代には、「アルプスの少女ハイジ」(1974年)、「赤毛のアン」(1979年)などのTV名作シリーズで、日常生活を丹念に描き出す手法を通して、冒険ファンタジーとは異なる豊かな人間ドラマの形を完成させます。
80年代に入ると舞台を日本に移して、「じゃりン子チエ」(1981年)、「セロ弾きのゴーシュ」(1982年)、「火垂るの墓」(1988年)など、日本の風土や庶民生活のリアリティーを表現するとともに、日本人の戦中・戦後の歴史を再考するようなスケールの大きな作品を制作。
遺作となった「かぐや姫の物語」(2013年)ではデジタル技術を駆使して手描きの線を生かした水彩画風の描法に挑み、従来のセル様式とは一線を画した表現上の革新を達成しました。
常に今日的なテーマを模索し、それにふさわしい新しい表現方法を徹底して追求した革新者・高畑の創造の軌跡は、戦後の日本のアニメーションの礎を築くとともに、他の制作者にも大きな影響を与えました。本展覧会では、絵を描かない高畑の「演出」というポイントに注目し、多数の未公開資料も紹介しながら、その多面的な作品世界の秘密に迫ります。