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2006年7月28日

角館イベント・ミニレポート

男鹿和雄第一回監督作品『種山ヶ原の夜』のDVD発売と同タイトルの絵本の刊行を記念して、さる6月25日、男鹿さんの故郷でもある秋田の角館(秋田・旧太田町出身)で上映会と作品の歌を担当したアンサンブル・プラネタのミニコンサートが開催された。
東京から新幹線で約3時間の遠い北の地角館は、快晴。緑も濃く、もう夏のような暑さ。
森の匂いが空気に混じっているような土地での上映会の模様をレポートする。


tatemono1.JPG上映会が開催されたのは、わらび座という劇団の小ホール。

zabton1.JPG白いスクリーンの前の床に、座布団を並べて見るという昔懐かしいスタイルで行われた。

audience1.JPG観客は、地元の秋田放送を通じての募集に応募してくれた約300名の方々。
赤ちゃんをおぶったり幼児を連れた親子づれが多い。
そこにDVD『種山ヶ原の夜』の声を担当してくれた角館の子供たち、その父兄や親戚、男鹿さんの小学校時代の友人や、恩師など関係者も一緒になって見るという肩肘はらない雰囲気だ。

ensemble21.jpgアンサンブル・プラネタの4人が、司会をお願いした秋田放送アナウンサー高橋美樹さんの声に導かれて、白いドレスでまず登場。「サリー・ガーデン」「ニーナ」、「庭の千草」そして作品の中で流れる「ラルゴ」「牧歌」を歌う。

ensemble1.JPG宮沢賢治が作詞した「牧歌」は、賢治の作詞どおり方言のままに歌われる。アカペラで歌うのだが、その透明感のあるソプラノとアルトの声が、聴く人の想像力をはばたかせる。種山ヶ原の風景を歌った「牧歌」は、そこがどんな場所なのか、一度たずねてみたいと思わせてくれるのだ。

slide1.JPGそして『種山ヶ原の夜』の約27分の上映。方言だけで進行するこの作品に、一生懸命それを聞き取ろうとするかのように、多くの人の体が前のめりの感じになっているのが暗い中でも見て取れる。時折赤ちゃんの声がしたり、それを小さな声でなだめようとするおかあさんの声が聞こえたりするのが、夏祭りに催された野外での上映会を思い起こさせる。エンディング近く、アンサンブル・プラネタの歌とともに「種山ヶ原」の風景を右から左へゆっくりパンし、天候もそれとともに変化していくシーンが大きなスクリーンに映し出されると、ひときわ絵の美しさが際立つ。


上映のあと、会場からは自然と拍手が。種山ヶ原での一夜を主人公の伊藤君と同様夢の世界に遊んだかのような、はればれした空気が会場に流れた気がする。

明るくなった場内に男鹿和雄監督と、角館出身でこの作品の子供以外の声をすべて担当した俳優の山谷初男さんが登場。

5interview1.JPG話題はやはり、方言のことに。
方言で山谷さんが「男鹿さんの演技指導は、よくないと何も言わねぇの。いいと言われねば何回でもやるしかないべ。ねちっこいなと思いました(笑)」と語れば、男鹿さんからは「そんなに何回もやってもらいましたっけ?(笑) 最初から山谷さんにお願いしようと思っていたし、せりふについてもおまかせしたつもりでした(笑)。方言はわかりにくいかもしれないけれど、人も方言も自然と同じように、その場所の風景のひとつと考えました。だからあえて、原作のままに全編方言でやりとおしました。出演してくれた子供たちも最初は難しそうでしたが、秋田の方言のDNAがあるとみえて、完成してみるとりっぱに方言をしゃべってくれています。本当にありがとうございました」とお礼が述べられた。 


children1.JPG最後に楢や柏の樹霊として出演した子供たちも登場。
その日はじめて完成画面を見た子供たちは、「自分の声が普段と違って聞こえてびっくりした」、「ほんとに映画になったんだ。よかったという気持ちです」、「方言は喋るのが、難しかった」、「印象に残ったことは収録もだけど、そのあとみんなでした鬼ごっこ(笑)」など、それぞれの感想が話され、その正直な意見に会場はより一層なごやかさに包まれた。

宮沢賢治作品にとって方言は大事な要素。賢治の研究家たちも、それぞれその使い方には意見があるといわれている。会場を訪れてくれた賢治の親戚にあたる宮沢和樹さんも、「『種山ヶ原の夜』は最初からワッと人々がとびつく作品じゃない。それをあえて、方言のままでやってしまったことが凄いですよね。これからいろいろな議論がなされるかもしれませんが、それにしたがってこの作品も徐々に人々に知られていくことになるんじゃないでしょうか」と感想を話された。
 
方言にこだわった男鹿さんの気持ち。それは、ふるさとを愛おしいと思う気持ちならではのものだろう。
男鹿さんのこのこだわりが、映像を通して人々に伝わるかどうか、製作をした私たちも楽しみにしたいと思う。

(初出:『熱風』2006年6号より)